「わたしは、ダニエル・ブレイク」

「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2016年/イギリス・フランス

カンヌ映画祭でパルムドールに輝いた巨匠ケン・ローチの作品ですね。
パルムドールとケン・ローチの名前だけで観ようと思わせます。
話の舞台は、イギリス、ニューカッスル。心臓病のために大工の仕事が出来なくなったダニエル・ブレイクは、福祉に頼ろうとしますが、仕事の効率化を図る行政のやり方になじめずに、援助を得られず、また仕事も出来ないために次第に困窮していきます。同じように、行政の援助を受けられずに困窮するシングルマザーのケイティとその子どもたちに出会い、彼らとの交流と自らが置かれた状況を通して、現在の行政の在り方に対する批判をこの作品は語っていきます。
確かに、アメリカと同じように格差が広がっているイギリスの現状がこれだと思うと怖くなる話ですね。
日本でも格差が広がり、子どもの貧困化などが言われるようになっていきていますが、日本の未来の行政もこのような冷たい感じになってしまうのかと思うと、絶望感すら抱きます。人間性を失うことが、人間が突き進もうとしている未来なのかと。
行政の在り方の中で、人間性を描こうとしたことは作品に対してとても共感出来ます。それに、さすがにケン・ローチは巧みに物語を紡ぎ、観ている人のほとんどがダニエル・ブレイクに感情移入し得ないような場面を作っていくことで、観ている人たちに作品の中で訴えているテーマを考えさせていきます。
ただ、個人的には登場人物に対するアプローチの仕方がちょっと古いなと思ってしまった点が残念でした。
作者の訴えたい点を表現したいがあまりに、ダニエル・ブレイクが聖人のようなキャラになってしまい、ダニエル・ブレイクが正義で、役所が悪という勧善懲悪的な二項対立に陥ってしまっているんですね。ダニエル・ブレイクは聖人ではなく、あくまで一市民です。最初こそ頑固な性格が描かれていますが、負の側面はそれだけでなく、いろいろな面であるはずです。また悪く描かれている役所に対しても、もっと矛盾に感じている人や、役所としての言い分もあるはずです。
ダニエル・ブレイクが人間性を訴えるのであれば、彼の複雑な部分をもっと描いてほしかった。加えて、役所で働きながら、その在り方に矛盾を感じていると想像出来るアンをもっと使ってほしかった。彼女がより言葉を発することで、より現実的で、さまざまな階層の中の一人一人に内在する矛盾が描けたはずなのだから。
ケイティの顛末についても、ダニエル・ブレイクがどうなるかについてもね。確かに衝撃なものを出して、観ている人の感情を揺さぶるという意味では、ドラマになっているのだけれど、やはりちょっとありきたりで古い気がします。あまりにインパクトが強すぎる顛末を持ってきてしまうと、結局そこに観ている人の感情が引っ張られてしまい、本来考えるテーマがうやむやになってしまう気がしてしまうんですよね。
社会の現実をリアルに描くのは難しいです。特に今は多角的な視点が必要になってきていますからね。そんなことを強く感じた作品でした。