「ある一生」 著 ローベルト・ゼーターラー

「ある一生」 
著 ローベルト・ゼーターラー

久しぶりに文学を読んだな、っていう気持ちにさせてくれた小説でした。
内容そのものは、あまりに平凡な男の人生を追っているだけの淡々とした物語なのですが、それが妙に引きつけられ、まるで我がごとのような気持になって、彼の人生を追ってしまうんですよね。

この小説を読んでいて、絶えず意識させられるのは時間です。
そもそも一人の人間の一生をテーマにしているのだから、おのずと人に対して時間とは何だ? 人は一生という時間をどう生きているのだ?という話になってきます。

「人の時間は買える。人の日々を盗むこともできるし、一生を奪うことだってできる。でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりとも奪うことはできない」

本書の中に出て来る印象に残るセリフですが、そうですね。人の一生は、そのほとんどが仕事や家事、子育てなど、しなければならないことに追われるものであり、ときには不条理に何かをやらされ、精も魂も尽き果ててしまうことがあります。
じゃあ、そうしたわたしたちにとって、人生とは何か? と問われた時、それはそれぞれが持つ、それぞれの瞬間の積み重ねであるんですよね。
人間、すべてを記憶できるわけではありません。都合よく美談として記憶を捻じ曲げることもあれば、嫌な記憶は忘れようともします。そして、大抵の取るに足らないことは忘れてしまいます。
その中で、物心ついた時から、断片的に残っている記憶の積み重ね、それが今のわたしたちを作り上げているとわたしたちは感じて生きているんですよね。

この物語の主人公は、死ぬちょっと前に、同じ時間の長さにもかかわらず、戦争に行き、抑留されていた8年もの年月よりも、妻と過ごした幸せだった数日の方が自分にとっては長く感じると言っていますが、まさに人間とはそういう生き物なんですよね。ていうか、そういう記憶の持ち方をしないと生きていけない生き物ですらあるのかもしれません。

個人的には、舞台設定としてアルプスの山麓のふもとに主人公がずっと住んでいるというのが秀逸だと思いました。時間をテーマにしていながら、ただ悠久の時が流れている自然と、それに相対する人の一生という限られた時間。そうした対比が、物語を通して感じさせられ、時間をイメージとして非常に色とりどりに捉えさせてくれます。

短く、地味な内容にも関わらず、何だか不思議と心に残る本でした。色んな人に薦めて、感想を聞いてみたい本ですね。