「グレムリン」

「グレムリン」
1984年/アメリカ

アメリカの80年代を代表するSF映画の一つですね。
グレムリンとは、元々はニ十世紀初頭にイギリスの空軍パイロットの間で生まれた噂から広まった機械に悪戯をする妖精とされ、ノームやゴブリンの遠い親戚にあたる生き物とされている架空の生物です。機械やコンピューターが異常現象見舞われた時にグレムリン効果といわれているそうですね。
そのグレムリンという架空の生き物を、映画に登場させたのが本作です。
スティーブン・スピルバーグが製作をしているので、そればかりが目を引いてしまっていますが、実はこの脚本を書いたのは、クリス・コロンバスですね。
この後、「グーニーズ」や「ヤングシャーロック ピラミッドの謎」の脚本を書き、「ホームアローン」「ホームアローン2」を監督。そして、「ハリーポッター」シリーズでの製作・監督でも有名ですね。
多くの人は、「ハリーポッター」で彼の名前を知ったのではないでしょうか?

そんなのちのヒット―メーカーである彼が、まだ二十代のときに書いた脚本がこの「グレムリン」です。
そもそもスピルバーグの目に留まって、彼が作ったアンブリン・エンターテイメントで雇われていたという話ですから、若い頃からその才能をいかんなく発揮していたんですね。
それで面白いのは、最初にクリス・コロンバスが書いた脚本ではこの「グレムリン」もっとグロテスクな映画だったそうです。
実際の映画では、主人公のお母さんが奮闘してグレムリンを何匹も殺すシーンが有名ですが、元々の脚本ではお母さんはここでグレムリンに斬殺され、主人公が飼っていた犬もグレムリンに食われるという話だったそうです。
まあ、さすがにこのまま突き進んでしまえば、ホラー映画になりかねないとのことで、スピルバーグと監督のジョー・ダンテがかなり話を変えたようですけれど、結果論からいえばこれは大正解でしたね。
その中でも一番の改訂ポイントはギズモの扱いでしょう。本来ならギズモがグレムリンのボスになるはずだったのが、スピルバーグの鶴の一声でギズモだけはあの可愛らしい姿のまま本編を通じで残されたそうです。
これはハッキリ言って、内容もそうですが、マーケティングの意味でかなりデカかったですね。この映画の公開後、ギズモグッズは飛ぶように売れたわけですからね。
ギズモがグレムリンに変わってしまったら、誰もぬいぐるみなんて買いませんからね。

それにしても、改めてこの作品そのものがギズモによって救われ、ギズモによって成り立っている映画だとは思います。単なるホラーになるところが、ギズモというキャラクターを作り出して、それをそのまま残したおかげで、グレムリンというそもそもゴブリンまがいの生き物のイメージまでも変わってしまったわけですからね。

話の内容的には、今の時代から考えると、いわゆるパニック映画の魁ではありますが、物足りなさを感じるかもしれません。40オーバーの人には、それでノスタルジーという付加価値がありますが、若い人にはそれもありませんからね。
グレムリンたちの殺されようについても、残酷であると今だともしかしたら怒る人がいるかもしれないですね。
この映画を人間が生き物を育てる場合のルールの話だとして見れば、明らかにルールを犯しているのは人間側ですからね。確かに映画でも、最後に主人公のお父さんは怒られていますが。

あと子どものときに観たときには全然思わなかったのですが、大人になって観直して見ると、これ、保証とか大丈夫なのかな……とリアルなことを考えてしまった自分がいました。お父さんの暢気すぎるキャラクターに対しても、この人はどうなんだろう?って思ってしまいましたしね。
しかも結果的にあれだけの騒ぎで、死んだのが露骨に嫌な人物だとして描かれていたおばあさん一人っていうことにも引っかかってしまいました。わかりやすい勧善懲悪でカタルシス効果を期待するっていう、まあこの時代ではそれが当たり前だったのでしょうけれど、さすがにちょっと今の時代からしてみると、「どうかな……」とは思います。

まあ、そういうことも全部ひっくるめてギズモの可愛さでどうにかまとめられてはいるんですけれどもね。

ちなみに今回数十年ぶりに観なおしてみて思い出したんですけれども、子どもの頃この映画を観た時、グレムリンそのものよりも、この映画のヒロインであるフィービー・ケイツ演じるケイトのクリスマスのトラウマ話が一番怖いと思ったことを思い出しました。気になる人は、もう一度映画を観直すが、ウィキペディアで調べてくださいね。