「機動戦士ガンダム THE ORIGN MSD ククルス・ドアンの島」

「機動戦士ガンダム THE ORIGN MSD ククルス・ドアンの島」
漫画 おおのじゅんじ
メカニカルデザイン カトキハジメ
キャラクターデザイン ことぶきつかさ
原作 矢立肇・富野由悠季
漫画原作 安彦良和

元々「ククルス・ドアンの島」はファーストガンダムのアニメの一話で放映されたものですね。
アムロが南海の島に不時着し、戦災孤児たちを連れて戦争から逃げていく脱走ジオン兵「ククルス・ドアン」と出会う話です。
この話だけが一連の話の中で唯一切り離された一話こっきりのエピソードで、当然話しの大きな流れの中では重要な話ではなかったので、のちの劇場版からは当然削除されたエピソードです。
でも、何かだからこそ妙に引っ掛かるエピソードであり、また謎めいたククルス・ドアンというキャラクターがとても魅力的に映ったので、ファンの間では知る人ぞ知るエピソードであり、何となくここに引っかかる話ですね。

その当時一話こっきりで描かれた話が奥行きを伴って復活しました。
話はククルス・ドアンが脱走した後の部下たちの話を中心に、彼らがドアンがいなくなった後も戦争で戦い続けながらも、ドアンがなぜ脱走をしたのか、ドアンとはどんな人物だったのかを考え続けるというものです。
安彦良和さんの「THE ORIGN」の外伝という形になっていますが、それにしても漫画を描いたおおのじゅんじさんの画風はビックリするほど似てますね。
しかもメカニカルデザインがカトキハジメさん、キャラクターデザインが「デイ・アフター・トゥモロー」のことぶきつかさんと豪華です。

話は、個人的にはなかなか重厚で考えさせられる話だと思いました。
正直、時間が行ったり来たりするので読みづらいことは確かです。単行本を一気読みするならともかく、連載という形でこれだけ時間が行ったり来たりするのは、読む側としてはかなり混乱をしてしまうし、次の号を読むまで、もしくは次の単行本が出るまでに色々と忘れてしまう人も多いと思います。
連載漫画というのは、とにかく基本的にはどれだけ連載を長く続けられるかということにまず焦点を置くので、普通に考えれば、この構成は連載漫画としてはまず通らない企画です。
でも、この漫画の場合は、そもそも原作あっての話であり、「ORIGIN」の外伝ということもあって、最初からある程度の長さで終わることを前提にこの普通では考えられない構成の仕方になっているのだと思います。
そして、なぜわざわざこの時間が行ったり来たりする分かりにくい構成の仕方にしたのかということを漫画を一気に読んでみると分かるんですよね。

この話は基本的に戦争のドンパチが目的のマンガじゃないんですよね。
勝ったか負けたかが重要というよりも何のために戦っているのかというのを戦っている本人たちがいかに考えていくのかという話なんですよね。
そして物語の中心であるドアンの部下たちの間には、なぜドアンが戦うことを止めたのだという疑問が常にあります。
自分たちが戦うの中で、苦しみや矛盾を感じていくと、どうしてもドアンがなぜ戦うことを止めたのかという話を思い出してしまい、それが頭の中で巡ってしまうのです。
その結果、彼らの舞台で何があったのかが語られ、そこにどうしてドアンが戦うことを止めたのか、そしてそれを見た部下たちがどう感じていくのかがわかっていきます。
なので、時間が行ったり来たりするというのは、登場人物たちの思考を追っていく上で必要な構成であり、この構成であるからこそ、効果的に登場人物たちが最後にドアンが自ら脱走することで何が言いたかったのかを理解するという話になっているんですよね。

ここからはネタバレになりますが、話の元々の伏線として、ドアンの部隊がコロニー落としの遂行つまり、ブリティッシュ作戦に結果的に関わっていたという話は興味深く、うまいです。
このコロニー落としの話は、「機動戦士ガンダム」の様々な外伝で使われるネタですが、それだけインパクトのある話なんですよね。
そして、結果的に、スペースノイドが独立するという大義と共に、自分の子どもや孫がちゃんと生きられるために戦っていたドアンが、自分が関わったブリティッシュ作戦の中で、自分の妻や子供を殺してしまっていたことを知ってしまった。
しかもジオンの戦争も、スペースノイドの独立を果たすためというよりも地球圏の制圧であり、ザビ家の支配に向かってしまったことも感じるようになってしまった。
だからこそ、彼が戦う理由を失って脱走したという話はとても納得が出来ました。
よく作り込んでいる話ですし、アニメのファーストガンダムの話にもしっかりと繋がっていますね。

そして個人的によかったのが、ドアンが「死ぬな」というメッセージをドアンの部下たちがしっかりと最後の最後でその意味を分かるというのがよかったです。
如実に表れていたのが、ラストでドアンの部下であったヴァシリーがずっと戦い続けていた黒いガンダム、ガンダムFSDとの決着シーンです。
普通の話なら、当然このガンダムFSDと戦って勝つとか、相打ちになるとかそういう話になるのですが、最後の最後でヴァシリーはガンダムFSDと決着はつけずに逃げるという選択をします。多くの人が肩透かしされたかもしれませんが、この行為こそがドアンが部下に託したメッセージそのものなんですよね。
確かにヴァシリーにとっては、黒いガンダムは何度も彼の仲間を殺してきた仇です。
でも、その仇を撃つことに自体に意味はなく、その感情に任せて戦うこと自体が、そもそも自分たちがなぜ戦わなければならなかったのかということを覆い隠してしまうという意味なんですよね。
大事な誰かを守るために戦う必要がときにはあるかもしれない。
でも、それ以外の戦いは、いかに戦争であっても殺りくに過ぎず、憎しみが憎しみを生むだけなのだということを訴えているんですよね。
見事にテーマ性がブレずにしっかりしていた本でした。

それにしても、演出として黒いガンダムのパイロットを一切出さなかったのは見事ですね。
本編ではガンダム目線で語られるのに対し、立場が変わればガンダムに対する印象も変わるというのが感じられて興味深かったです。

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