モノプソニーの力で給料が安くなった日本人。生産性を上げるにはどうすればいいのか?

日本人の「給料安すぎ問題」の意外すぎる悪影響

菅首相が信奉するデーヴィット・アトキンソンさんの記事ですが、これはこの記事の言う通りですね。今の日本の停滞は間違いなく非正規雇用の導入依頼、給料が安く抑えられていることに問題があります。

この記事の面白いところは、それをモノプソニーという概念を使って説明している点です。
モノプソニーとは、労働者を雇う会社側の力が強くなりすぎ、労働者が「安く買い叩かれる」状態を指す言葉だそうです。そして問題なのは、このモノプソニーという状態が単に労働者に支払われる給料が不当に安くなるということだけではなく、モノプソニーの力が強く働くようなると、国の産業構造に歪みが生じて、生産性が低下し、財政が弱体化する。つまりは、結果的に国全体がおかしくなってしまうという点です。

産業別に見れば、特に飲食、宿泊、小売、教育、医療においてモノプソニーの力が強く働くことがわかっているそうですが、ようするにいわゆるエッセンシャルワーカーですよね。
そしてコロナ禍においても、明らかに割りを食っているとされる産業と重なっていますね。これらの産業は他国の企業との競争はほとんどないうえ、労働集約型になりやすいという特徴があるが故に、人を雇用するコストが低いと、ICT技術を活用するインセンティブが働きにくくなり、モノプソニーが強くなるとされているそうです。

そしてその結果、これらの産業の生産性が他の産業に比べて著しく生産性が低く、日本全体の生産性を引き下げているそうです。
まあ、ようするに飲食、宿泊、小売、教育、医療が全体の足を引っ張っているという話になり、記事を書いているアトキンソンさんによれば、こういった産業の生産性を高める方策として、「小規模事業者の統廃合」「中堅企業の育成」「最低賃金の引き上げ」が有効であるということです。

個人的にもおおむねそうだと思います。ただ生産性のあるなしを大雑把に論じる前に、なぜそれらの産業の生産性が落ちてしまっているかについて、そもそもそれぞれの産業が置かれている問題点についても考えてみる必要もあるのではないでしょうか?
生産性が低いとされている産業の中で、まず教育と医療については、そもそも生産性だけでその良し悪しを計るべきではないと思います。
この二つは、国民生活の礎と言っても過言ではなく、また格差の是正を調整するための基本的な分野でもあります。なので単に目に見える形の直接的な生産性だけで判断してはいけません。むしろこの二つについては、人を育成したり、治療したりすることで、経済的な生産性以上のことで社会そのものに貢献していると考えるべきだと思います。
もちろんそれぞれの病院や学校が努力をすることも大事ですが、どうしても経済的利益を追いにくい事業については、いかにすればそれらが持続可能であるのか、国や自治体の支援込みで考えるべきではないでしょうか。寄付や助成金などでこれらの分野で働く人にも社会に対する貢献の対価としてキチンとした給与の支払いがされるべきだと思います。

また飲食や小売に関しては、確かにこれらの産業が自営が多いが故に生産性が低いという部分はあるかもしれません。ただそれ以上にそもそも格差が広がり、その結果飲食や小売を利用する人たちの賃金そのものが下がっているので、結果的に飲食や小売の売り上げが伸びない。つまり、飲食や小売の生産性が悪いのは、格差社会とデフレの影響をモロに受けいていると考えた方が自然だと思います。
さらに突っ込んで考えれば、そもそもどうして飲食や小売に自営業者が多いのかも考慮に入れるべき問題です。個人的にはこれは、終身雇用と年功序列の弊害だと思います。終身雇用や年功序列が当たり前の縦社会では、その組織の中での出世競争に乗っていれば生きていくことは比較的たやすいです。しかし、一度そこから転げ落ちてしまったり、そもそもその中に入れなかった場合は大変です。何もかも考えずに精神的な屈辱や過酷な低賃金のブラック労働に耐え忍んで生きることを強いられるしか選択肢がなくなってきますからね。
そのような境遇に人が置かれた場合、多くの人が自分で何かをするという選択肢を考え始めるのは、自然の流れでしょう。そうした人々が比較的自分で開業しやすい飲食や小売の分野を選ぶことも簡単に想像出来ます。

アトキンソンさんの言う通り、振り返ってみれば、労働市場を緩和し、非正規雇用を拡大したときが転換点であったことは間違いないでしょう。
あのとき、企業の力が強くなりすぎないように、最低賃金を継続的に引き上げていくという政策を取らなかったことが現状の生産性が低い日本を作ってしまった。
またそれだけじゃなく、年功序列や終身雇用といった縦社会を温存したことも、いたずらに格差を拡大させることに寄与し、社会分断を招いた要因に違いないでしょう。
その結果、コロナによってそれらの不満が露わになり、そもそも人件費を切り詰めることで生き延びてきた日本社会において、その下支えをしていたエッセンシャルワーカーにその責任を負わせています。

アトキンソンさんの記事にもありますが、子どもを産んだ女性にその責任を押し付けているという論理も同じですね。
結局は、性別や業種などの属性によって社会の構造が作られていることに問題があります。
強い属性にいる人が、弱い属性にいる人に矛盾や問題を押し付けることで、社会を成り立たせているんですよね。
机上の理論では、確かに中小企業をまとめていくことで、生産性は高くなる可能性があるでしょう。
でも、仮にそれを強引にするならば、そもそもの日本人の社会や組織に関する意識そのものも変えていく必要があるのではないでしょうか。

形だけの変化をして、弱い属性の人たちだけに負荷をかけるのではなく、強い属性にいる人たちが譲歩し、性別や年齢などが関係のない開かれた社会をつくってほしいです。
生産性を本当に上げたければ、出来るだけ多くの人が活躍が出来る、多様な社会をまず作り上げることが必須です。
その辺りの意識が変わらなければ、小規模事業者を統合したところで、烏合の衆にしかならず、生産性が高くなるどころか、持続可能性すら危うくなってしまいますからね。

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