「おっちょっこちょい」のリーダー学

先日プリキュアが好きな小学一年生の娘が「ねえねえ、リーダーっておっちょっこちょいな人がやるものなの?」と聞いてきました。
最初何を言っているのか分かりませんでしたが、よくよく話を聞いてみると、「プリキュアに出てくるリーダーはいつもおっちょこちょいだから、リーダーっておっちょこちょいな人がやる物だと思った」とのことです。
確かにプリキュアには毎回4、5人のプリキュア戦士が出てきますが、だいたいのシリーズにおいてその中でリーダーのようにフューチャーされている子はおっちょこちょいな性格をしていることが多いです。
そして周りに割としっかりした子を配置しておっちょっこちょいな子をサポートさせるという構図に仕立てているんですね。
もちろん現実世界では、一般論的にしっかりした人がリーダーを務めるのが当たり前であり、実際に自分の周りを見ても基本的には自然としっかりした人が上に立っているように思いますが。

では、なぜプリキュアでは、一見おっちょこちょいな人がリーダー役になるのかというと、これはテレビ的な演出だとしか言えないでしょう。
普通に考えれば、リーダーの資質がある子よりも、ない子の方が大多数です。
番組としてはとにかく出来るだけ多くの子に観てもらいたいので、自然とごくごく平均的で自分たちと重ね合わせやすく、感情移入がしやすいキャラクターを中心に物語を作っていっているんですよね。
またおっちょこちょいであるというのは、シナリオ的にシリアスさとコメディさを強弱つけて展開したいとうのがあるので、主人公がおっちょこちょいであると、その出し入れがわかりやすく簡単に出来るんですよね。
シリアスさばかりだと重たくなってしまうところで、最後にちょっと主人公がおっちょこちょいなことをやって和ませる。
まさにアニメの一つの黄金パターンですね。

さて、プリキュアにおいて、おっちょこちょいな人がリーダーであるというのは、テレビ的な事情であるということはわかりますが、では果たして現実世界で、実際におっちょこちょいな人がリーダーになったらどうなるでしょう?
またわたしたちはしっかりした人がリーダーになるべきだと思い込んでいますが、リーダーに適任な「しっかり」した性格とは一体何なのでしょう?
一口にリーダーといっても色々とあります。グイグイと押しの一手でまとめるリーダーもいれば、秩序や組織を重んじる人、聞き上手で調和調整に秀でた人など十人十色で、またその性格や性質もアニメのキャラクターのようにディフォルメして説明出来るものではなく、複雑です。
ただ基本的にはその組織の種類や立ち位置によって求められるものも違うので、リーダーになることになったほとんどの人は与えられた役割に応じる形でリーダー役を演じることになると思います。
例えば軍隊の隊長なら規律を執拗に部下に求めることで皆をまとめたり、教師であれば、子どもたちに協調性を持たせてみんなをまとめるといった具合に。

そう考えると、リーダーにはその立ち位置によって求められる資質が違うということが言えると思います。厳しさが求められることも、寛容さが求められることも、時と場合によってありますし、その濃淡はあれど、様々な面を持ち得なくてはいけないのもリーダーです。
つまり色々な形のリーダーがいるということで、それは地位や状況、その性格などによっても違ってもいいということです。
でもたった一つだけ、人が人の上に立ちリーダーとなる上で必要不可欠な要素があると思います。
それは、自分のことよりもみんなのことを考えるというスタンスです。
厳しくても、キチンと部下のことを考えているのなら、その言葉は部下にも響きます。でも、ただの八つ当たりであったり、感情をコントロールできずに、暴言や暴行に出るというのは、まったくもって身勝手な態度です。
力で誰かを抑えつけて自分のいいように振る舞うような人は、リーダーとは言えません。
自分の主義主張や承認要求を満たすためだけに、人に何らかの圧力をかけて人をコントロールしようとする人もリーダーとは言えません。
リーダーとは、常にみんなのことを第一に考えて、みんなが力を発揮できるように頑張れる人のこと、そのために自分が目立たなくてもいいと思っている人のことを言うのです。

リーダーに必要とされる、一番の要素とは何か。そこを突き詰めていくと、「おっちょこちょい」であるということが、そのままリーダーに相応しくないということにならない、ということがわかりますね。
おっちょこちょいでも、問題はその人がみんなのことをちゃんと考えて行動できる人ならそれでもいいのです。
多少、ミスをしたとしても、その人がみんなのためを思って行動しているのだとみんなが知っていれば、今度はみんなが自然とその人の足りない部分はフォローしてくれるでしょうからね。そうやって、自然とグループがお互いに助け合うような形になれる、そういう雰囲気を作れる人がリーダーに相応しいんです。

逆にいくらしっかりしていても、自分のことばかり考えていたり、打算が先に立ってしまう人はリーダーには相応しくありません。
自分に何が足りないのか、みんなを活かすために、自分はどうしたらいいのかをよく考えて、それが実践できるようになってからリーダーになった方がいいでしょう。

日本の教育は、現状残念ながら優れたリーダーを生み出すような形になっていません。
学校教育にしても、社会教育にしても、どうしても行き当たりばったりで、表面上の成果を出している人や年齢、ジェンダー、学歴などの属性によって、人の立ち位置が評価されて、その人間性が考慮されないことも多く、またそうしたリーダーに不適格な人が、リーダーとして問題を起こしたとしても、適切な教育がされずに放置されることが多いです。

「おっちょこちょい」でもいい。リーダーになるべき人に本当に必要なのは何であるのか。
そこを常に考え、上に立っている人がその立場に相応しいかどうかを考えるのは、わたしたちが社会生活をおくる上でとても大切なことです。
政治家にしても、経営者にしても、自分のことばかりを考える人が上に立っては、その組織はいずれおかしくなるのが自明ですからね。

今、これまで日本の社会で上に立っていた人たちの矛盾がどんどんと明らかになっています。
それに対して何も言わないということは、その人たちの振る舞いを黙認していることと同じです。
いくら「偉い」に立場にいる人でも、みんなのことは考えない人はその場に相応しくない。
そうした当たり前のことが、当たり前に言える社会に早くなってほしいですね。

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