「劇画オバQ」

正直こんなものを藤子不二雄先生が描いていたんだなっていう印象の本です。
舞台はオバQことQ太郎が人間界にいたとき、つまり漫画やアニメでQ太郎が描かれていたときから15年後の話です。
オバケ学校をどうにか卒業したQ太郎がまたみんなと暮らしたくて帰ってくるのですが、街並みはすっかりと変わり、以前に居候をしていた家もなくなっています。
しかも正ちゃんとは再会出来たものの、正ちゃんはすでに大人になり、結婚して奥さんもいるのです。最初はお互いに懐かしがり合い、話も弾むのですが、その関係がもう変わってしまっていることをQ太郎はまざまざと見せつけられます。
大企業に勤めながらも会社の歯車として働いている正ちゃんは、もうQ太郎のペースに合わせることが出来ず、正ちゃんの奥さんも大飯ぐらいのQ太郎にいい顔をしないのです。

何だか冒頭の時点で読んでいて寂しい気持ちにさせられますね。
でも大人としてこれを読むと、これが現実なのであり、この状況をどう受け入れるのかが大人なのだとされてしまいます。
ポイントは、大人になった正ちゃんに現実的な悩みを抱かせている点です。
正ちゃんは大企業には入ったものの、無目的に長時間働かなきゃいけないことに嫌気が差しています。
そこに大人になったハカセが独立して一緒に事業をやらないかと持ちかけているのです。
正ちゃんは、バカげた話だと思っているし、妻も反対しているので、現実的な話だとは考えてなくとも、そうした冒険にちょっと憧れています。

そんな中でQ太郎を囲んで昔の仲間たちが集まります。
飲めや騒げやをしているうちに、みんな子どもの頃の楽しく、自由やな生きていたときのことを思い出し、正ちゃんもだんだんとハカセの話に乗り気になっていくのです。
Q太郎も正ちゃんが昔の正ちゃんに戻ってくれたみたいで喜びます。
しかし朝になると、正ちゃんは昨日のことをあまり覚えておらず、それどころか自分に子どもが出来たことを知って意気揚々と出社して行ってしまうのです。
Q太郎は、正ちゃんがもはやこどもじゃないということを思い知り、肩を落としてお化けの世界に帰るしかありません……。

こうして説明してみると、とても皮肉がきいた作品ですね。
大人になること、子どもらしさを失うということがいかにつまらなく描かれていますが、それでも大人として生きていかなきゃいけないことを暗に伝えています。
Q太郎はここでは、ドタバタ劇の主人公ではなく、あくまで浮いた存在です。
大人の中にあってQ太郎は存在してはいけない存在である反面で、正ちゃんたちが失った童心のメタファーでもあります。
本当は遊び心を持ったまま大人になりたい。
でも大人の世界はそれを許さない。
そういう意味では、この作品は大人の社会に対する不満を述べているとも言えるでしょう。

ちなみにこの作品が描かれたのはまだ昭和の時代です。
それからすでに数十年が経った今、この漫画が描かれた頃よりもより酷い状況になっていることがわかります。
正ちゃんはそうは言っても大企業に勤めていて結婚もしています。
彼は会社の歯車になっている状態に悩んではいるものの、それなりに充分な収入を保障されていますし、それになりよりも彼には安定か冒険か選ぶ権利があります。
しかし今現在、正ちゃんのように大企業とはいかなくても悩むほどの安定した地位と収入にあずかれている人はどれだけいるでしょうか?
そもそも結婚や子どもが生まれることを当たり前の幸せとして皆が皆享受出来るような世の中でしょうか?

どうしても今この時代にQ太郎が現れたらと想像してしまいます。
確かにいまの時代にあっても大人になれないQ太郎を疎ましく思う人はたくさんいるでしょう。
でもそんなQ太郎を羨ましく思い、もういっそQ太郎のような気持ちを持ったまま大人になればせめて何かが変わるんじゃないか。
そんな風に考える人も結構いるんじゃないかと読み終ったあとに思わず考えてしまいました。

関連記事:
「ひとりぼっちの宇宙戦争」
「ミノタウルスの皿」

1冊95円のDMMコミックレンタル!