総裁選で本当は一番争点にするべき問題

お気楽すぎる自民党総裁選、「シュリンコノミクス」の危機をなぜ争点にしないのか

これままさにこの記事の通りですね。
記事で取り上げているシュリンコノミクスとは、「シュリンク」(縮小)と「エコノミクス」を合わせた造語で、人口減少や高齢化という国家の危機をどう乗り越えていくのかをテーマにした「縮小の経済学」のことをいいます。つまり、少子高齢化に対してどのように対応し、いかに低成長から脱するのか、これを考えることです。

世界で最も少子高齢化が進んでいる日本にとっては、誰がどう考えも今後の国の在り方を考える上で、一番喫緊な問題なんですよね。
でも、総裁選ではこの話が全然出てこない。

まあ、少子高齢化の原因は経済格差にあるので、そういう意味では、岸田さんや野田さんは間接的には争点にしているのですが、いまいち国民の間でもこの問題が議論になっていないんですよね。
本来なら自分たちの生活に一番関わってくる問題のはずなのですが。

そして、その代わりに一番争点に挙げられているのが、国防の話です。
高市さんの「国を守りぬく」という号令の下に、ネットではいかに中国や韓国に毅然な態度をとれるかどうかが、総理大臣に求められるものだと騒がれています。
わたし個人としては、別に様々な問題の一つとして国防を取り上げること自体は間違っていないとは思います。
中国に関しても、香港やウイグルで問題を起こしているのは確かであり、尖閣や台湾のことを考えれば、対応するべきことについては対応するべきだと思います。

でも、「対応するべき」と、「とにかく中国や韓国に弱腰な人間は総理大臣に相応しくない」という意見は、だいぶ違うと思います。
正直言って、わたし個人としては、他国からの脅威を煽ることによって自らの支持を得ようという政治家を信用することは出来ません。
それは、歴史を紐解けば、そういう政治家がこそが国をおかしな方向に向かわせることがわかるからです。

暴走した中国に対してキチンとした対応をする。
これは当たり前です。
でもそれと同じくらい、暴走している自国の政府に対しても国民として毅然と批判することも当たり前なのです。

他国の脅威は、常に自国の腐敗や不正を隠すために使われる、政治家の使い古された喧伝文句です。
2年前に徴用工の問題が噴出してから、日韓の対立が表立ち始めた時、日本のネット民は皆、韓国政府を攻撃しました。
自国の不正疑惑や経済悪化から目をそらすために「反日」というカードを使うな、と。
でも、よく考えてみてください。
森友問題、桜の会をはじめとして、政治の私物化をしてきた人たち、そしてそれを支持してきた人たちが今、「中国の脅威」というキーワードをどう使っているのかを。

中国を恐れるな、と言っているのではありません。
ただ「中国の脅威」という煽りに惑わされてはいけないといっているのです。
ハッキリ言って、個人的な感覚で言わせてもらえば、日本が中国に軍事的に占領されるよりも、「中国の脅威」を煽る政治家たちが市民の自由を奪っていき、結果的に不自由にしていく可能性の方が遥かに高いと思います。
それは第二次世界大戦前の日本の政治や社会がどうであったのかを振り返ればすぐにわかることでしょう。

何度でも言いますが、「中国の脅威」を煽って支持を集めようとする人は、誰であれ信用するべきではないと思います。
それよりももっと足元を見るべきで、今、わたしたちが対応しなければいけないのは、明らかに少子高齢化の中でいかに国として抗って行けるかです。
経済格差や財政出動の話になって来ると思いますが、与野党含めてここに対して足を引っ張り合うのではなく、協力し合って知恵を出し合うべきではないでしょうか。

いくら中国が嫌だと言っても、現状日本経済そのものは、中国経済によって下支えされています。
つまり、どんなに騒いだところで、日本と中国は、日本とアメリカとの関係と同じくらい、もはや切っても切れない関係にあるのです。
アメリカと中国という二つの大国の間でどう立つ振る舞うのか。
これは、今後の課題ですが、図太く生きていくためには、まず生きて行けるだけの足場を固めなければいけません。

難しいことは政治かに任せればいい。
とにかく中国と韓国にだけは厳しくやってくれ。

これは、ハッキリ言ってただの感情論であり、単純なナショナリズムです。
単純なナショナリズムは、時に国を亡ぼします。
冷静に、自分たちの生活やこれからの日本を守るために、今必要なことは何なのかをどうか今一度考えてほしいです。