竈門炭治郎というキャラクターの発明が少年マンガを変える可能性

いやあ、「無限列車編」のテレビ初放映で大盛り上がりでしたね。
オリジナルストーリーや「遊郭編」の放送予定も発表されて、鬼滅ブームはあと数年は続きそうですね。

さて、今や世界中を賑わしている「鬼滅の刃」ですが、今回は主人公である竈門炭治郎というキャラクターの特異性について考察したいと思います。
この炭治郎というキャラクターは、ひと言で言えば、原作媒体である少年ジャンプにおける主人公像を強く反映した王道キャラクターであり、その反面で少年マンガのノウハウからは外れたキャラクターであるとも思います。
これまでの主人公の王道キャラクターとの類似点は、なんといってもその正義感です。
基本的に勧善懲悪的なストーリーになりやすい少年漫画にとって、主人公が正義感溢れる存在であることは鉄則です。
そもそも主人公に正義がない限り、子どもたちは感情移入をしてくれませんし、ストーリーそのものも前に進みません。
少年ジャンプの過去の主人公たちを思い浮かべてみても、性格は色々と違っても、ブレない正義感を持つという部分に関しては、皆基本的に共通しています。
そしてそれはもちろん竈門炭治郎も同じで、彼も首尾一貫として曇りない正義感のもとに行動をし続けます。

ただ炭治郎とこれまでの一般的な少年マンガの主人公とはそうした共通点にありながらも、明らかに異なっている点が一つあります。
それは炭治郎が真面目過ぎるキャラであるという点です。
通常真面目過ぎるキャラクターは経験則から少年マンガの主人公としてはふさわしくないとされています。
それはハッキリいってキャラとして立たず面白くないからであり、話が教育的になり過ぎて子どもたちのウケがよくないからです。
実際、こうしたことを反映してか、少年マンガの主人公には正義感だけでなく、人間的な弱点を描くことが鉄則とされました。
女好きであったり、破天荒な性格であったり、天真爛漫であったり、おっちょこちょいであったり、人付き合いが極端に苦手であったりと。
読者としては、主人公がこうした一面をら時折見せるからこそ、主人公に自分に近い人間臭さを感じるのであり、感情移入を自然にしていくというわけになるんですね。

でも、炭治郎の人格にはそれがない。
彼はこれでもかというほど真っ直ぐで、無限列車で描かれているように彼の潜在意識は常に澄み渡っているのです。
通常こうした真面目なキャラは、主人公というよりは、主人公のそばにいて、必要なときに主人公を励ますような立ち位置に置かれる傾向が多いです。
プリキュアなどを考えれば分かりやすいのですが、「鬼滅の刃」においても、これまでのセオリー通りなら、我妻善逸や伊之助を主人公にして、炭治郎を二番手にした方がこれまでの型にはハマっていきます。

でも「鬼滅の刃」ではあえて炭治郎を主人公にすることを選んでいるのです。
これは物語のシリアスなトーンに合わせた結果とも言えるでしょう。
ただ主人公が真面目なキャラクターでは、他のキャラクターに食われるというリスクが常につきまといます。
このリスクに対して原作者が出した答えこそが、ある意味で「鬼滅の刃」を世代を越えたヒットに仕立てた一つの理由といっても過言ではないと思うんですね。
原作者が出した答え。
それは、炭治郎をただの真面目なキャラクターにするのではなく、真面目過ぎるキャラクターにして、そこにボケやツッコミを内包させるという、何気ないながらも見たことがない主人公像を作り上げるというアプローチです。

作品を思い返してください。
炭治郎は、自ら冗談を言うことはありません。
彼は常に愚直なまでに真面目を貫き、その姿勢があまりに強固であるが故に真面目さがときに天然ボケのようにも、鋭いツッコミにもなっているのです。
今までありそうでなかったこの性格づけはメリットが非常に大きいです。
まず作品のトーンがシリアスなものであるならば、主人公の真面目さが保全されているので、主人公のうキャラクターによって作風がブレることがなくなり、テーマ性がハッキリします。
また善逸や伊之助など適度に暴走してくれるキャラクターをそばに配置することによって、真面目なキャラクターが真面目なままその場の雰囲気に乗っけさせて、シリアスさの中でコミカルなシーンをちょいちょい味つけのように演出することが出来ます。

ポイントは、わざとらしくないよう、あくまで一生懸命に行動しながらも、本人の気持ちとは裏腹に、真面目さゆえの発言が側から見るとおかしい、というシチュエーションをいかに作ってあげられるかです。
「鬼滅の刃」における竈門炭治郎の描き方においては絶妙な形でこれが出来ているんですよね。
そしてヘンにディフォルメされずにふざけることもなく懸命に生きるこのキャラクターは、普段漫画を読まないアダルト層にとっては、非常に親しみやすく、受け入れやすいです。
善逸や伊之助が主人公であったなら、若者の中でヒットしても、ブームが大人にまで広がることはなかったでしょう。
炭治郎が真っさらに直向きであるがゆえに、多くの層の人が感情移入出来る物語になっているわけですね。

世界的な大ヒット作になりながらも、目新しい話ではなく、売れることをすべてキッチリやったバランスのいい作品と評されることの多い「鬼滅の刃」。
個人的には、あまり意識されないながらも主人公・竈門炭治郎のキャラクターの発明にこそ、猛烈に新しさを感じました。
これは邪推ですが、原作者の吾峠さんが少年誌で活躍する女性だからこそ、炭治郎のキャラクターに男性特有の悪ノリやグジグジした卑屈さが反映されず、また少女マンガのようなフワフワとした理想的な男性像に陥ることもなく、炭治郎というキャラクターは絶妙なバランスの中で生まれたのかなと思います。

「鬼滅の刃」の大成功によって主人公像の新たなパターンとして炭治郎型が認識されたことは間違いありません。
この型は絶妙な立ち位置と匙加減を元に作られているので、実際創作するにはなかなか難しいのですが、もしかしたらこの炭治郎という新たな主人公像の登場が少年マンガのトレンドを変えるキッカケになっていくかもしれませんね。