民主主義を壊している人たちの正体

民主主義が壊れかけている。
世界の趨勢から見てそう考えている人は多いと思います。
多くの人は、それは極端な意見を持って差別や排他主義を蔓延させている人たちがいるからだと思っているでしょう。
アメリカのトランプ派がその最たる例ですし、ヨーロッパで台頭している極右勢力などがわかりやすい例だと思います。

確かに極端な意見を持つ人たちが声を大きく張り上げることによって、社会分断が招かれているというのは事実でしょう。
ただ話をもっと突き詰めて、じゃあ、なぜこうした人たちが極端な意見を持つようになったのかを考えた時に、本当に民主主義を壊している人たちの正体が見えてきます。

民主主義を壊している人たちの正体。
それは少しでも人よりも優位に立とうする心であり、優位に立つことで楽に人を支配したいという欲求を持つ人たちです。

先日、共通テスト当日に、東京大学の受験会場で受験生が高校二年生に刺されるという事件が起きました。
犯人の子は、愛知県の進学校に通うエリートで、東京大学の医学部に入りたかったが、成績が落ちて悩んでいたとのこと。
この子の詳細が報道されていないので、はっきりしたことはわかりませんが、ただ一つわかるのは、この犯人の子は、東大の医学部に入れない自分の人生には価値がないと思っていたことです。
どうしてそのような思考になったのはわかりません。
ただ自分の想い描くエリートになれない人生は、負け犬であり、その後の歩んでも意味がないものだと思い込んでいるんですよね。
この話は、もちろん極端な話ですけれども、ただ人生に勝ち負けをつけ、出来る限り人よりも先んじたい、出来る限りマシな人生を送りたいと願っているのは、実は誰の心にもある話なんですよね。

大人になって分別がついてくるにしたがって、大抵の場合は丸くなっていき、自分の人生も受け入れていくものですが、でも人間は誰もでも楽はしたく、また自分がこれまでしてきたことに対して、自分はこれだけやってきたのだから、それなりに他人によって評価されるべきだという考えも捨てきれません。
むしろ、そうしたものに対して自分が得た権利だとすら思うようになるんですよね。

自分は大企業の社員だから、丁寧に扱われて当然だ。
自分は社長なのだから、大切に扱われて当然だ。
自分の方がキャリアが上なのだから、優先されて当然だ。
自分の方が年上なのだから、みんなに尊ばれて当然だ。

心の中で多くの人が微かに思っていること。
そして露骨には示さないものの、無意識に出してしまっている態度。

具体的にいえば、先日正規の社員から請負社員にかかってきた電話がありました。
正規社員は情報の照会がしたかったので、訊ねましたが、その人は少し活舌が悪い人でした。
電話を訊いた請負社員は訊き直しますが、伝わらずに何度かやり取りを繰り返します。
そのうちに正規社員は苛ついて、請負社員に対して口調が強くなってきます。
自分の活舌が悪いことはさておき、そもそもが聞き取れないお前が悪いのだと。
おそらく、この正規社員は、これが同じ正規社員や目上の人ならこうした態度は取らないでしょう。
相手が自分よりも格下であることが前提であるから、ぞんざいに扱ってもいいという認識が無意識にあるのです。

何てことない話じゃないか。
そんなことで目くじら立てるなよ。
多くの人がそう思うかもしれません。
でも、そうした小さな差別の積み重ねが社会を経済だけでなく、意識までも分断していくのです。

年下だから。女だから。格下の会社だから。
だから、ぞんざいに扱ってはいいという理由にはなりません。
たまたま大きな会社に入り、たまたまそこで出世していたとしても、その人は責任こそあれ、別に威張っていいわけでもないし、人を見下す権利などないのです。

でも、世の中では、それが見慣れて光景になり過ぎて、当たり前になってしまっている。
どんなに会社で偉くても、社会インフラを担う人、その会社で働いてくれる人、その会社の消費やサービスを買ってくれる人がいなければ、その人は何の役にも立たない人なのです。
でも、比較的いい生活をしている人たちは、自分の生活の裏にあるそうしたことを考えない。
それどころか、考えてしまえば、後ろめたさを感じてしまい、それがイヤだから、むしろ自分自身を肯定していく。
自分は努力をしたのだから、ある人よりも優位に立って何が悪い? 悪いのは、努力をしない、能力のない、あいつらが悪いのだと。

そして彼らは思います。
自分の子どもも、出来る限り優位な立場においてやりたい。
高い教育を与えることで、いつまでも人の上に立ち、世の中にはびこる不幸からは距離を置きたいと。

もちろん、子どもに教育を与えること、そのものを否定しているわけではありません。
進んで不幸を享受しろと言っている訳でもありません。
ただ事実として、自分だけは、自分の家族はだけは、少しでも優位に立ちたいという競争意識が民主主義を壊すキッカケになっているのです。
トランプ派などの極端な意見を言っている人たちは、つまるところ社会的に優位に立つ人たちのこうした自覚なき優性意識に対するカウンターです。
機会均等が完全になされていないにもかかわらず、資本主義を都合のいいように利用しながらも、善人面している人たちに対するアンチテーゼなんです。

こうしたカウンターを止めさせて、民主主義を取り戻したいのなら、まず社会的優位に立つリベラルから態度を変えていくべきです。
自分たちだけが出し抜くことを考えておきながら、社会正義なんか語ってはいけません。
まずは、自分自身の差別意識から治していくべきなのです。

かつてジョン・ロールズは、「正義論」の中で、もしも自分が裕福に生まれ、それによって高い教育を得たなら、養われた力を社会に還元しなければ道理に合わないと説きました。
まずは自分が本当に誰かを差別していないか。
そして、自分や家族だけがどうにか生き残ればいいかと考えていないか。
民主主義を守りたいのなら、誰もがそれぞれにそこを考えるところから始めてほしいです。