ふじみ野の立てこもり事件に、「自暴自棄の人」をどうすればいいのかを考える。

立てこもり男、自殺考え「先生を殺そうと思った」…事前に散弾銃や催涙スプレー用意

埼玉県のふじみ野市の立てこもり事件、何だか聞いてとても辛い気持ちになりました。
亡くなられた鈴木医師に、ご冥福をお祈りいたします。
訪問介護に情熱を燃やす、地域医療の要だったという報道がありますが、本当に社会にとってとても重要な人だったんだなと思います。
こういう方の損失って、本当に大きいんですよね。
この方がいなくなることで困る人が、ご家族の方もそうですが、本当にたくさんおられますからね。

さて、当たり前のことですが、犯人に対して世間の怒りの声があちこちで飛んでいます。
大阪の心療内科の件も、そうですけれど、問題は、もはや自暴自棄となった人たちをどうすればいいかということですね。
ようするに、アンガーマジメント(怒りの感情のコントロール)が出来ない人は、世の中には一定数いて、こういう人たちを社会としてどう受け止めればいいかという話です。

こういう痛ましい事件の後は、大抵、厳しい意見が飛び交います。
大体は、この手の人たちは社会にとって害悪でしかないのだから、社会としてより厳しい措置を取るべきだといった話です。
確かに亡くなられた方や、ご遺族の方のことを考えれば、そうした感情に流れてしまうことはわかります。
あまりに理不尽な話ですからね。
それに、社会として情報を共有して、こうした人たちに対して予防措置をとるべきだというのは、ある意味正しい提言だと思います。
ただ問題なのは、一体どこで、その人が「ヤバい人」であるのかを線引きをして、そしてそうした人に対して、誰が何をやるのか、というのが非常に難しいということです。

予防措置という観点で、行き過ぎている例は、最近では新疆ウイグル自治区で中国が行っていることが挙げられますね。
犯罪を犯してもいないのに、イスラム教を信仰していたり、海外に留学経験があるということだけで、テロリスト予備軍とAIによって振り分けられてしまい、強制収容所にどんどんと入れられている世界です。
そんな極端な話をするな、と言われるかもしれませんが、こうしたディストピア的な世界って、一歩間違えれば、簡単に成り立ってしまうんですよね。

だから、わたしたちは慎重に話し合わなければならない。
「おかしい奴はどうにかしろ」
多くの人がそう思うのは自然です。
でも、言うのは簡単ですが、そのどうにかする人たちの数が圧倒的に足りないのが現状なんです。

今回亡くなられた鈴木さんも、大阪の心療内科のドクターも、この社会に稀有な「どうしょうもうない人たちを、どうにかしようとしている人」でした。
そして、アンガーマネジメントが出来ない人は、こうした手を差し伸べてくれる人に対して、怒りのやり場をぶつけます。
それは、彼らには、そうした人たちぐらいしか社会との接点がないからです。

おかしな人には、普通、誰もが近づきたくありません。
それは単純に怖いからです。
わたしもそうですし、特に子どもが近くにいるときは、間違いなくまず離れることを考えます。

でも、みんなでその人に注意をすることが出来たら。
そうすれば、ちょっと勇気が出るかもしれません。
社会に、こういう人をもう少しどうにか出来る仕組みがあれば、もしかしたら、家族や友人の人がそこに繋げることが出来るかもしれません。
それには、たぶん、わたしたちみんなが意識を変えていかなければ行けないのだと思います。

亡くなられた鈴木さんは、地域医療の介護に対して情熱を燃やしていたことを考えると、自身の死によって、社会がよりギスギスしたものになってしまうことは望んでいないと推察できます。
鈴木さんの死を無駄にしないためには、わたしたち自身も怒りに対して、怒りで返すのではなく、冷静にどうすればいいのかを考える、誰かがやるのではなく、社会全体でうまくどうにかすることを考えることが大事なのだと思います。

アンガーマネジメントが出来ない人は、ハッキリ言って治療が必要な人です。
それを自覚したくないから自暴自棄になる訳だし、そもそも治療をする人がほとんどいないし、そこに気づかせてくれる人もいません。
まずは、こうした人たちを切って捨てるだけでなく、こういう治療が必要な人が一定数、社会にはいるのだということを意識すること、そしてお金をかけてでも、それが当たり前の治療システムを社会全体に築いていくことが何よりも大事なことですね。