「プラテネス」著 幸村誠

「プラテネス」
著 幸村誠

デブリ(宇宙ゴミ)を回収する宇宙飛行士の話ですね。
近未来において宇宙に進出する人間の心理をうまく描いていますね。

秀逸なのは、デブリ回収という地味な職業に光を当てることで、世界の矛盾はおろか、宇宙という環境に身を置く人間の哲学的な変化を見事に表現しているという点です。
宇宙を舞台にした話なので、SF的な様相が強いような印象を受けますが、実際話の大半は哲学的な問答であるわけで、実は宇宙を舞台にしているというだけで、テーマそのものは極めて普遍的な話なんですよね。

じゃあ、そのテーマが何かと言われれば、自己愛と他者愛の葛藤とでもいいましょうか。
ようするに、もっと話かりやすく言えば、「何かをやりたい」と強い欲望を持つ人間(ここでは初期のハチマキやロックスミスのような人物)が孤独と直面したときに、救いになるのは他者愛しかないという話なんです、この物語は。
どうも宇宙をバックグラウンドに話をすると何だかとても哲学っぽく聞こえるのですが、「何かやりたい」の「何か」は、宇宙でなくてもいいと思います。
つまりは、何かをやるために、人はいくらでも自分勝手となり当人はそこにヒロイズムを感じているが、本当にそれでいいのかという話ですすからね。

物語においてキーパーソンとなっているのは、明らかにのちにハチマキと結婚することになるタナベです。
彼女は、前述のようなヒロイズムに痩せ我慢をしてでも突き進もうとするハチマキに冷や水を浴びせます。
「やりたい」を突き進んだ挙句に愛を見失ったら何になると。
一見、タナベの言っていることは、青臭い言葉に聞こえます。
でも、話を突き詰めていくと、結局は人が人として幸せを感じるためには、タナベのように他者を愛することができる人がそばにいなければいけないということが自明な話になっていくんですよね。
あれほどタナベに対して反発していたハチマキが変わっていくのは、ハチマキがタナベとぶつかっていくうちに、自分自身の弱さと向き合うことをごまかしていることに気づいたからにほかなりませんからね。

何が正しいとか、何が正しくないかとかは、確かに簡単に他人が決められることじゃないですし、話は常に複雑で、理解するだけでも大変です。
ただ他人を愛するというのは、しごく単純な話で、結局人間はどんなに遠くに行こうが他人を愛さない限りは、自分自身の幸せのなんたるかも理解することも出来ないという話なんだと思います。
もちろんこれは、何もわかりやすい恋愛の話をしているのではなく、いわゆるキリスト教における隣人愛みたいな話でもあると思います。
とにかく自分だけが満足するような行為を貫いたところで、それを一緒に話したりとか、一緒に笑ったりする人間が誰かしら心のそばにいないと人間というものは、苦しくなってしまうものなんだといことをこの話は必死に訴えているんですよね。

少し前に元JAXAの関係者がこの作品のアニメ版を酷評し、炎上して謝罪するということがありました。
この元JAXAの職員の主張としては、この作品において宇宙技術の描き方が拙いことについて批判していたのですが、確かにプロの目からすれば、宇宙開発を描いている以上そうした部分が目についてしまうのかもしれません。

フィクションなんだからいいじゃんという意見もありますが、出来る限りリアルに書く必要性があるということも事実です。
でも、いわゆる漫画や映画と言った作品は、正しい情報を伝えるためだけに存在しているのではないことも事実です。

この作品は、宇宙に取り憑かれた人間の弱さをテーマにした話です。
実際に宇宙開発に携わっている人からすれば、心がざわつかせる部分があるかもしれませんが、だからこそなぜこの作品が一般的に受け入れられてヒットしたのかを考えて欲しいなって思いました。