「論破」をする人ほど、小さな勝利に気を取られて、自分が失っているものの大きさに気が付いていない。

意外と多い…「論破」で夫婦関係を修復できると思い込んだ“自己中モラハラ夫”

ああ、何かこういう人、確かにいますよね。
男女関係だけでなくても、会社内での人間関係でもありますよね。
フラットな状態で色々な意見を集めて、何をどうするのか決めていくというよりも、とにかく自分の考えがまず一番で、いかにそれを通すかということばかりを考えているんですよね。
この手の人って、人間関係を勝ち負けでしか考えていないんです。
なので、相手の意見など最初からほとんど聞く耳を持っていませんし、話をみんなでまとめ上げようという気すらありません。
会社でもそんな感じなら、家庭内なんて家父長制の極みで、自分がイニシアチブをとることが当然、ていうかそういう権利があるとすら勘違いしているんですよね。

理屈で攻めてこの手の人が局所局所でうまくいってるように見えるときがありますが、それは周りが面倒くさいと思っているからです。
積もり積もって、この手の人の周りにいる人は、こういう人物とそのうち関わりたくないと思うだろうし、離れたいと思うのが世の常です。
DVをしている人のように、相手が思考停止になるまで徹底的に逃げられなくなるまでやり切る人もいますが、ただどのみちこの手の人が幸せになることはありませんよね。
他人と分かりあったり、共感し合ったりすることは決していないのですから。

人間関係をただの勝ち負けにしか思っていない大人になってしまうということは、多くの場合、子どもの時から大人からそういう教育をされてきた、もしくは他人と協調することの意味を教わらずに生きてきたからに違いないでしょう。
そういう意味では、この手の人はかわいそうな人だとも言えますが、ただ人に不幸を撒き散らす側になってしまった時点で、自分で気づかない限りはどうにもならないんですよね。
相手を「論破」し続けている限り、誰もその人に大切なことを教えてくれませんからね。

長い目で見れば、「論破」によって本当に大事なものが得られることってほとんどないんですよね。
その場その場で得をすることをあっても、それによって失う物の方が多かったりしますからね。

会社の人であれ、家族の誰かであれ、いつも誰かを「論破」することでやっつけてしまっていると自覚している人は、今一度自らの行いを振り返り、「論破」をされることで相手がどう思うのかを今一度よく考えた方がいいですよね。
弁護士じゃないんですからね。
家族や同僚を「論破」によって黙らせるなんて、正直バカの極みですよね。