「スマートな悪 技術と暴力について」 著 戸谷 洋志

「スマートな悪 技術と暴力について」 著 戸谷 洋志

この話は、実はわたしが日々違和感と恐怖を感じていたことでした。
タイトルにあるように最近「スマート」という言葉がスマートフォンの普及とともに広がっていて、あたかもスマートであることが正しく、何人もスマートさを目指さなくてはいけないという風潮すらあります。
実際本作でも触れているように、政府はスマートな社会を目指すと明言すらしていますからね。

本作は、技術革新によって出来なかったことが可能になったり、効率的になったりすること自体を否定しているわけではあります。
問題は、社会システムを何でもかんでもスマート化つまり最適化してしまうことによって、人間性が失われ、結果的に人間がスマートな仕組みに絡め取られてしまうことに警鐘を鳴らしているのです。

その際たる例として挙げられているのが、ナチスドイツにおいて、ユダヤ人虐殺計画の輸送ロジスティクスを築いたアイヒマンです。
アイヒマンについては、色々なところで語られているので、名前を知っている人と多いと思います。
戦後アルゼンチンに潜伏していたところ、イスラエルのモサドによって拉致され、イスラエルで裁判を受けさせられた結果死刑になった人です。
第二次世界大戦中、アイヒマンは直接ユダヤ人を殺したわけではありません。
でもナチスという組織の求めに応じて、ユダヤ人を効率よく強制収容所に送り込むための輸送システムを確立したのが彼でした。

ポイントは、ハンナ・アーレントがのちに語るように、彼が凡庸であったこと。
つまり、彼自身にユダヤ人に対する憎悪があったわけではなく、彼はあくまでナチスが作ったシステムに乗っとっただけだと主張しているところです。
だからと言って彼の罪が消えるわけではないと思いますが、彼の主張は良くも悪くもその通りなのだと思います。

そして問題は、こうしたアイヒマンのような罪の犯し方は誰の身に起きてもおかしくないという点です。
それは普段わたしたちが暮らしている世界にある、一般的な会社を思い浮かべればわかりやすいでしょう。
大抵の会社は指揮命令が行き渡るようなシステムを作り出し、従業員を出来る限り効率的に働かせようとします。
働かなければ生きていけない従業員は、会社の言いなりになって働かざるをえません。
そのうちに従業員たちは、いくら会社そのものが仮に悪さをしていても、会社が作ったシステムに乗って生きることがその効率性ゆえに正しいと思い込まされているので、その悪に気づくことはおろか、いつの間にかその悪に加担してしまっているのです。

スマートさだけを盲目的に追求し続けると、人は簡単にこうした状態に置かれてしまうという話なんですよね。
では、こうした効率的なスマートさを善としたシステムに抗うためにはどうすればいいのか?
本作ではそれは極めて難しく、一つのシステムに抗ったとしても、すぐまた別のシステムに組み込まれてしまうこと示唆しています。
そもそも社会のシステムの中にいない限りは、人間は生きていくことが難しいのですから、消費社会である限り、どこに行ってもシステムに絡めとられてしまう可能性が高くなってしまうんですよね。

本作ではオウム真理教の例を挙げて、このことを説明していますが、これは分かりやすいです。
大消費社会になってしまった日本において、システムに組み込まれてしまうことを嫌った若者たちが、そのシステムから救おうという麻原彰晃が作ったシステムの中に組み込まれてしまったというわけですね。
オウムと一緒にするなと言う声が聞こえてきそうですが、他者をシステムに組み込むことによって組織を成り立たせるという意味においては、基本的に普通の会社がやっていること変わらないわけです。

「会社だからしょうがない」
「働くってそう言うものでしょ」

そんな呟きは、至るところで聞かれる言葉ですからね。
閉鎖的な場所から逃げても、閉鎖的な場所しかないというのが、今の世の中であるんですね。

じゃあ、どうすればいいのか?
話は当然そういう話になってきます。
つまるところ、システムが閉鎖的だいうことをそれぞれに自覚した上で、並列して並ぶシステムに対して常に開放的だというのが一つの答えになって来ると思います。
つまりシステムの閉鎖性にとらわれずに、それぞれが生き方に対して意識してカスタマイズしていくしかないってことですね。

本作の作者は、ガシェットという言葉を使ってそのことを説明してます。
ガシェットとは、名前のない道具のことであり、本来の使い方をせずとも、別の使い道で役に立つ道具のことです。
つまり、使い方を規定されず生きることで、システムに組み込まれることから抵抗するべきだという話です。

少し観念的でわかりにくいかもしれません。
ここからは個人的な解釈となりますが、この話を具体的な話に落とし込んでも見ると、わたしは副業というのが一つのキーワードになるかなと読んでいて思いました。
様々な生業を持てば、一つのシステムに組み込まれることなく、生きることが可能ではありますからね。

ただそうした生き方は、正直、ある程度能力がある人じゃないと難しいかもしれません。
経済格差が広がりかねない話ですし、雇用保障をどうするのかという問題も出てくるであろう話ですからね
個人が個別にシステムから逃れることは可能であっても、社会全体の仕組みを変えることは本当に難しいんですよね。

本作では、技術の革新に制限を与える、つまり個人がカスタマイズ出来ない技術に対してはNOを突きつけるべきだという話もしていますが、なかなかその線引きも難しいです。
何が悪いのかは分かっているのですが、消費社会がすっかりと出来上がってしまっているだけに、なかなかそれを覆すとなると、力づくになってしまいがちで、そうなってしまうと、結局新しいシステムに組み込まれてしまうという話になってしまうだけですからね。

人類がシステムに完全に飲み込まれてしまう前に、進化して何かシステムそのものに絡めとられないやり方を見つけ出してくれるといいのですが。
このままだと、ターミネーターのような世界が本当に起こりかねないんですね、ホント。