常任理事国入り目指すよりも、日本にこそやってもらいたいと思うこと。

日米会談で、日本の国連「常任理事国」入りをアメリカが希望するという話が出たとたんに、今回の日米会談での評価が一気に高まっていますね。ネットでもとても盛り上がっています。まあ、日本人としては、そりゃ日本が世界のリーダーの一角に加わるのは誇らしく感じるでしょう。それがどの国民をもが潜在的に持つナショナリズムというやつですからね。ただどうなんでしょう。みんな誇らしく思うのはいいのですが、安保理の常任理事国となることは、それに伴う責任も発生するということをあまり考えていないように思われます。

常任理事国となれば、今回のロシアによるウクライナ侵略のようなことが起きた場合、当然軍事的な強制措置にも貢献しなくてはいけなくなってしまいますからね。9条をそもそも改憲しなくちゃいけなくなりますし、国民にもそれ相応のリスクが生じてくるという覚悟が求められます。威勢よく好き勝手に言っていればいいという話ではなくなってくるんですよね。

まあ、そもそも日本が安保理の常任理事国になるには国連憲章の改正が必要なので、そんな簡単になれるものではないんですよね。

ちなみに国連憲章改正には、国連加盟国(193ヶ国)の3分の2の多数の「採択」に加え、5つの常任理事国を含む国連加盟国の3分の2の「批准」(国内の同意手続き)が必要です。1973年を最後に改正は行われておらず、さらに中国やロシアの猛反発があり、特に中国は多数派工作をするでしょうから、まず現実的な話ではないですね。今回の発言はバイデン大統領の日本へのリップサービスといったところでしょうか。

それにしても、そもそもの話になりますが、常任理事国って本当に必要なんですかね。これらの国に拒否権があるからこそ、国際紛争が解決の道に進んでいないことは確かですし、行動原理が一部の大国の都合によってしまうこと自体に大きな問題があるような気がします。国の大小に関わらず、意見をぶつけ合い、その中で倫理とは何か、国連が何のためにどのように行動するのかを決めていかなければ、民主的でないと言われても仕方ないですからね。

常任理事国になることよりも、その制度そのものに対して疑問を投げかけてみるというほうが、倫理的に正しいような気がするのですが……。
まあ、青臭い理想論と言われればそれまでですけれど、理想を語らない限り物事は絶対によくはなりませんからね。