恋に落ちたシェイクスピア
1998年公開/アメリカ
「ロミオとジュリエット」が出来上がるまでのシェイクスピアの恋模様を描いた作品です。まず題材の扱い方がとても面白い。これまで幾度となく、映画化されてきた「ロミオとジュリエット」をまさにこう扱ったか!とのっけから驚かされました。当時の風紀を乱す理由で、女性が舞台に上がれないという風習をうまく使って、見事なまでの展開を見せています。
それで、その「ロミオとジュリエット」がいかにして作られたのかという話なんですけれど、何か作家の頭の中を描いているようで、面白かったです。何だかんだ言っても、作品のよしあしは心をどうこめたか。もちろん想像力も大事であると思うのですが、それとともに大事なのは、やはり心なのです。無論、この映画で語られていることはフィクションに過ぎず、ヴァイオラも実在の人物ではないのですが、おそらく同じような体験をシェイクスピアはしていたんじゃないかと映画を観ているうちに思わされ、実際の体験がどう作品に反映されていくのかをつぶさに見られてとても興味深い映画でした。
それにしても各映画際の脚本賞を総なめにしているけれど、この映画の構成力は抜群ですね。絶えず現実の中での恋と、劇の中でのセリフや展開をリンクさせ、シェイクスピアとヴァイオラの心象を見事に表現しています。だんだんと形になってくる芝居に対して、当初は否定的だった人がのめりこんでいったり、周りの人間の意識も変わっていく様子は見ていて痛快でした。芝居が、そしてひいては愛の力(恋愛だけでなく、広義の意味で)がどれだけ人に影響を与えるのかを描ききっている映画だと思います。
まあ、しかしシェイクスピアとヴァイオラを見ていて誰もがたいてい思うと思うんですけれど、人間、ああいう燃えるような恋を一度はしてみたいものですね。時の女王であるエリザベス一世が、芝居に真実の愛は描けないと断言しながらも、結局は認めさせちゃったわけですからね。とくに彼女の人生の背景を考えると説得力があります。
また「ロミオとジュリエット」についても、知っている内容にもかかわらず、こういう見せ方をされたら、だいぶ違った作品のように見えてきたのでとても新鮮でした。作品が何年も時を経て、色あせずにさまざまな解釈が出来るということは、それだけその作品に命が吹き込まれているからなんですよね。
作中にもあるけれど、芝居をよくするという理由以外の周りの邪心の入った意見には、劇作家は耳を傾けてはいけません。あくまで自らの心の声を突き詰めて聞き、それに対して従順でならなければ、本物は書けないんですよね。よく真の芸術家は、自分が神に代用された入れ物であるかのごとく、勝手に創作意欲がわき、気がついたら芸術作品が出来ているといいますけれど、それはまさに自分の心に純粋に向き合いきった人間だけがたどり着ける領域であると思います。
総じて色々な意味でいい映画ですね。大学時代に演劇学を先行していたわたしにとっては、個人的にシェイクスピア時代の劇場の様子や、人々の芝居に対する気持ちを見ることができて、それだけでも楽しかったです。ただエリザベスがお忍びで劇場に来ていたという点はちょっと引っかかりました。さすがにそれは話の都合上もあると思うんですけれど、少し強引だった気もします。もしそうするならば、ヴァイオラが彼女に謁見するシーンで、賭けの話だけでなく、シェイクスピアの名前まで言わせて、彼の新作を見るべきだと、伏線を一言でも入れておくべきだったんじゃないかなと思います。
あとさかんに劇場が風紀を乱す!と言っているけれど、その具体的な様子をシーンとして指し示してほしかったです。たとえば、当時劇場は芝居を見るというよりは、社交の場という認識が強く、芝居そっちのけで、今で言うナンパをしたり、噂話をしたりするのが当たり前だったわけで、そのあたりをもっと表現してくれれば、何ゆえにそこまで女性を舞台に上げることを禁じていたのかとか、なぜ劇場をああまで毛嫌いする人間がいるのかが理解できて、もう一歩違う見方も出来たような気がします。まあ、このあたりはわたしが専門的に勉強した人間であるからこそ、気になってしまった部分ではあるのですが。