「君の名は。」
2016/日本
とてもグイグイと見せてくれる映画でした。アイデア勝ちの映画ですね。
男の子と女の子の心が入れ替わるというのは良くある話です。この映画はそれに加えてまず男の子と女の子の間に物理的な距離と時間軸のズレを咥えることによって、話をより切ないストーリに紡ぎあげています。
それにしても男と女のズレ、心だけじゃなく、そこに距離や時間を加えて表現するのは新海誠監督の真骨頂ですね。
この映画は、そもそも自分らしさを表現することに長けていた新海監督に、グイグイと観客を引き込むことに天才的な力を発揮する川村元気プロデューサーが加わることで化学反応が起こり、エンターテイメントとして一流の映画になったのだと思います。
川村さんは、ある意味でホントにすこい力を持っていますね。ドラえもんとかも近年脚本家として参加していますが、明らかに面白くなっていますしね。若くして東宝のエースになっているようですが、今日本映画を牽引している人だと思います。
さて、一気にハラハラドキドキしながらも新海ワールドを堪能出来る映画なのですが、「ほしのこえ」から追いかけている人間としては、新海作品が良くも悪くも良さを抑えつつもエンターテイメントに完全に方向を転換してしまったことに少し寂しさも感じます。
例えれば、応援していたバンドが、メジャーデビューに成功したものの、大衆向けになってしまった故に〝らしさ〟が抑えられていくのを感じてしまう寂しさのようなものでしょうか。
ここから先はネタバレを含みますので映画を観た人だけに読んでほしいのですが、映画として、この映画はそれまでの新海作品よりも明らかにシナリオ的にメリハリが利いていて、グイグイと人を引き込む作りになっています。
これはおそらく川村さんの力であり、川村さんがうまくそれまでの新海監督のゴチャッとしたところを交通整理したのだと思います。
結果、最高のエイターテイメントになった。
その代わりに、良くも悪くも新海監督の持つ余白も失った。
おそらく映画の企画として、心入れ替わり、時間軸のズレ、距離のズレというエッセンスとともに「君の名は?」というフレーズを最後に言わせる、ということがあったと思います。映画が明らかに「君の名は?」と主人公たちに最後に言わせることを目指していますからね。
最後に男女で一緒に同じフレーズを言う。
これは「ほしのこえ」からあった新海監督の一つの十八番です。
そこに向かって叙事詩的な感じで物語を紡いていくのが一つのこの監督の型なのですが、それがこの映画では観客の心をグイグイと引き込むような作りに乗せられているのでこれまであったこの監督の持つ叙事詩的な雰囲気がやや抑えられており、それに加えて主人公の二人以外の気持ちの交わりを描くことに集約され過ぎてしまっているために、脇役たちの書き込みが甘くなっています。脇役の書き込み甘さは、このこれまでもあったこの監督の弱点でもあったのですが、それがこの監督らしさとして受け入れられるというよりは、グイグイと進む物語の中で巧妙に隠されてしまっている、誤魔化されてしまっているという感じになってしまっているんですよね。
個人的に、ちょっと違和感を覚えた点は二つ。
一つは、住民の避難を計画する三葉(心はタキ)に三葉の友人たちが、特に土建屋の息子の勅使河原が何の疑いも挟まずにノリだけで乗ってしまう点。
勅使河原が三葉のことが実はすごく好きで、彗星が落ちて来るなんていう話は信じていないけれど三葉のために計画に乗る、という話ならわかるんです。何となく勅使河原が三葉のことを気にしているような素振りは見せてなくはないのですが、もっとここは勅使河原の三葉への想いを短い言葉でも強調するシーンがあるべきだったかもしれません。そうすれば、三葉の友達でありながらも勅使河原に想いを寄せるサヤカの行動にも納得感があったでしょう。ジブリの「耳をすませば」の雫と親友の夕子、それに雫が好きだけれど裕子に想いを寄せられている杉村の三角関係のような関係がさらっと描かれていれば良かったんだと思います。
もう一つは、三葉(心も三葉)がお父さんをどうやって説得したのかが説明されていない点。これは結構重要なところです。そもそも伏線としてこの親子関係の破たんがあったはずです。その心が大きく離れていたお父さんに対して、彼をどう動かすのか、三葉の言葉がもう一つのテーマとなるべく重要だったはずです。
でもこの大切のシーンがありません。
それは間違いなくこのシーンを描いてしまえば、三葉やその周囲の人たちが助かったことがそのまま分かってしまい、その時点でグイグイと観客を引き込むことが出来なくなってしまうからです。
映画の最後は明らかに、彼女たちが助かったのかどうかを知りたくて、観客は観続けています。観客がそうやってハラハラしながら観るという状況を作り出したいがために、三葉とお父さんの二人の関係がいかに変わるのかいうシーンが意図的に描かれなかったのです。
正直って、これは良くも悪くもちょっとあざといです。登場人物の気持ちや人間関係を丁寧に描くことよりも、観客を引き付けることを明らかに優先していますからね。新聞記事で後出しじゃんけんのように避難訓練として市長であるお父さんが住民たちを助けたというシーンがチラッと映りますが、知りたいのはそれじゃないんですよね。父と娘との間でどういう心の交流があったかなんです。
父の娘のシーンがなかったとしても、そもそもがこの父親像と娘との関係をもう少し具体的に丁寧に描いて、実際にシーンが無くても、何を言えば父親の心が動くかもというのを三葉が観客と一緒に気が付き、実際にはないシーンをより鮮明に想像させるという作りには出来たような気がします。今のままだと、親子関係の破たんの伏線を張ったまんまで終わってしまっているんですよね。
まあ、色々と言いましたが、新海監督がそれまでとは打って変わり、明らかなエンタメ路線に進んだことは喜ばしいことでもあります。
それで新海監督と出会い、彼の作品が色んな人に観られるようになったのですからね。
クオリティーの高い作品をつくり続けている人だからこそ、より高いものを目指してほしいですね。