公園でサッカーをやっている少年たちを見て、Jリーグが目指してきたことを考える

公園でサッカーをしている子どもたちを見ると素直に感じることがあります。
それは、わたしが子どもだった時代よりもサッカーの技術が全体的にかなり高いということです。
わたしの子ども時代は、サッカーの情報と言えば「キャプテン翼」しかなく、あの非現実的な技を夢想しながらとにかくボールに群がっているだけでした。あとは缶コーヒーにマラドーナの写真がプリントされていて、「何かマラドーナっていうすげえ奴がいるらしいぜ」と都市伝説まがいのぼんやりとした情報が流れてくるくらいで、、、とにかく海外サッカーがライブで観放題の今の時代と違って、サッカーの強豪校に行かない限りはしっかりとしたサッカーの技術を学ぶなんてことはなかなかなかったんですよね。実際、ほとんどの子どもたちはトウキックで当たり前でしたし、戦術という概念もなく、ただキーパーとそれ以外で別れて遊んでいるだけでした。

ただそれからJリーグが始り、日本も何度もW杯に出るようになって数十年。確実に公園でサッカーする子たちの様相が変わってきました。まずは最初にも言いましたがそれぞれの技術が格段と上がっていること。リフティングなどの一見してわかりやすい技術だけではなく、ボールの蹴り方やトラップの仕方などの基本的な技術が全然違うんです。子どもによってはちゃんと状況に応じで蹴り方やトラップのやり方を変えているという感じで、ボールの扱いにしっかりとした意思を感じます。

それともう一つ、昔と今とで隔世に感じるのは、休みの日などに子どもたちに混じって大抵指導が出来るお父さんが混じっていることが多いという点です。

この点はかなり違います。サッカーチームにでも入っていない限り、昔は公園で大人がサッカーを教えている場面など見ることはありませんでしたし、そもそも休みの日の公園にお父さんなんていませんでした。

そしてこの変化こそがそもそもJリーグが当初から狙っていたことなんですよね。近ごろはJリーグに倣ってほかのスポーツもプロ化の傾向にあります。ただ本当の意味でその競技が一般に浸透していくためには、プロのリーグを作ればいいという話ではないんです。その前提として次から次へとプロになれるような若い子がどんどん出てくるような下地をしっかりと作らなきゃいけないんですよね。

Jリーグが始まった当初、当時の盟主だったヴェルディ川崎のオーナーである読売は、チーム名に企業名を入れられないことや、Jリーグにオーナー企業が自由に介入できないような規約があることに反発しました。しかしJリーグは頑としてそれを受けつけず結果として読売がチーム運営から撤退してもその姿勢は変わりませんでした。

今から思えば、日本サッカー界にとってそれは分水嶺だったかもしれません。Jリーグにとって何より大事だったのは、プロチームやそれを運営する企業だけが興隆すればいいという話ではなく、あくまでチームが地域に根付き、地域の中でサッカーを通じた人材育成など様々な面で地域に貢献できるような組織を全国に作ること。中でもサッカーを教える人間の育成に重点を置きました。まずは教える人間を時間をかけて育成する。慧眼ですね。いかにJリーグが長期的にモノをかんがえていたかがわかる話です。そして、その哲学を何を言われようと変えなかった。だからこそ、今どこの公園でもサッカーがうまい子どもたちが増え、彼らに適切な指導をする大人も増えているというわけです。

そしてJリーグのこの成功は、ほかの組織も応用できることですし、スポーツ以外のことでも応用が出来ます。なかなか変わらない社会問題に関する意識もね、根気強くそれをちゃんと伝えられる人を育てていけば、裾野が広がって世の中が変わっていくかもしれないんです。その可能性をJリーグは先駆けて示してくれました。

ついつい見過ごしてしまいがちな風景ですし、当の子供たちは当たり前のこととしてサッカーをしているだけなんですがね、時代とともにそれが変わってきた背景を見てきただけに感慨深いです。

関連記事
一般企業も真似るべき⁉ 川崎フロンターレがここ数年強いわけ