また児童虐待の痛ましい事件が福岡で起きてしまいましたね。
福岡県篠栗町で2020年4月、5歳男児に十分な食事を与えず餓死させたとして、福岡県警は、同町の無職で母親の碇利恵容疑者と知人の赤堀恵美子容疑者を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕したそうです。
赤堀容疑者はまた碇容疑者から生活保護費などをだまし取ったとして詐欺などの容疑で逮捕、起訴されています。
話をざっと聞くと、ようするにママ友して知り合った赤堀容疑者が碇容疑者を支配していったようです。
まず碇容疑者の夫が不倫をしていると嘘をつき、浮気調査費や不倫相手に渡す慰謝料の名目で、碇容疑者に児童手当や生活保護費などの中から計約187万円をだまし取ったそうです。
碇容疑者の離婚後は、赤堀容疑者は碇容疑者への支配を強めていき、碇容疑者の家族の生活費を管理し、その間に消費者金融などに借りさせて騙しとったお金は1200万円。子どもの食事なども制限させていったとか。
結果的に一番幼い三男が餓死したわけですが、鬼畜としか思えない所業に怒りを感じるとともに、なぜこのような支配が成り立ってしまうのか、どうしても考えてしまいますね。
このケースの場合、気になるのはママ友という赤堀容疑者と碇容疑者の関係性です。
ママ友と呼ばれる関係についてのトラブルは今に始ったことではありません。
昔からその手の関係にトラブルがあるということは知られていたし、ネットが普及してからはそうしたエピソードは言うに事欠かないくらい溢れるようになりました。
もちろん、大部分のママ友同士の交友は健全なものだろうし、共助が成り立つ類のものであるのですが、ただママ友という関係性は、赤堀容疑者のように人を騙したり、人を支配はすることに抵抗がないタイプとっては、付け入る隙のある弱い立場のカモを見つけてその心うちに入っていくために非常に利用しやすいものであることは確かなんでしょうね。
基本的に、核家族化が進んだ現代では、未就学児の親は単純に追い詰められていることが多いです。
ただでさえ大変だというのに、ここに貧困やDV、養育する子供が複数などの要素が加わると、その生活難易度はグッと上がります。
碇容疑者が赤堀容疑者と出会った当初、家庭にどのような問題を抱えていたことはわかりませんが、赤堀容疑者が碇容疑者の不安や不満を知り、それを逆手にとったことは間違い無いでしょう。
問題は、その二人の関係性が閉鎖的になってしまって周りからは見えづらくなってしまっていたという点です。
二人の周りにも人はいたはずなんです。
一番気づく可能性があったのは、碇容疑者の夫でしょうが、赤堀容疑者がまずはここを切り離すことにしました。
次に幼稚園の先生や他のおかあさんということになると思うんですけれど、これがなかなか難しいですんですよね。
わたしも小さい子どもを育てていますが、なんか変だなと感じてもなかなかそこに踏み込めないし、そもそも共稼ぎだと忙しすぎてその余裕がない。
その結果、こうしたドツボにハマってしまった人を救うチャンスも手立てもなく、弱い人が地獄を見てしまうことになる。
そうなってくると、もう最初の段階で赤堀容疑者のような人間に隙を見せないためにはどうすればいいのかって話になってしまうんですよね。
ママ友がなぜ閉鎖的な関係になってしまうのか。
なぜ何よりもママ友との関係を優先してしまったのか。
赤堀容疑者が近づく前に碇容疑者が追い詰められていた状況を考える必要があると思います。
碇容疑者の場合は、まず単純に考えられるのは、三人も子どもがいて大変だったという点です。
わたしは二人でしたが、三人はかなりヘヴィです。
この時点で何らかの助けがあれば、そもそも碇容疑者に赤堀容疑者が近づく理由がなかったかもしれません。
それと、幼稚園や保育園において保護者=母親となり過ぎているこても問題でしょうね。
もちろん何も報道が出ていないので碇容疑者の夫は何も責められないのですが、一般論として子育てのウエイトが母親に偏り過ぎています。
父親は外で働き、子育ては母親という昭和の時代の固定観念が強すぎるために、父親は帰りたくても帰れず、結果的に母親が追い詰めれる仕組みになっているんですよね。
子どもが三人となれば、その忙しさは言葉を絶するほどのはずです。
赤堀容疑者のような人からしてみたら、おそらく碇容疑者の状態は赤子の手をひねるように騙しやすい状態だったのかもしれませんね。
確かに碇容疑者がまったく悪くないとは言えません。
でも、碇容疑者は加害者であり、被害者でもあります。
そんなバカな話はないと思っても、人は閉鎖的な環境で、追い詰められていけば、簡単に洗脳されてしまうものなのですね。
赤堀容疑者がどうやって碇容疑者を洗脳していったのかはしっかりと明らかにして、研究してほしいです。
またそれ以前に、なぜ碇容疑者がそもそも赤堀容疑者のような人に目をつけられたのか、「幼稚園」「ママ友」などのキーワードを通して、本当に社会として今の未就学児の親を取り巻く環境がそれでいいのかも考えるべきだともいます。
酷く追い詰められた環境に居れば、こうしたことが簡単に起こりえる。そうした社会通念が生まれれば、今後それだけこうした状況に陥った人を助けられる可能性が生まれるわけですし、幼い子供が少しでも犠牲にならずに済むのですからね。