「その名を暴け ♯Me Tooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」
著 ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー
映画界の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインによる数々の性的暴行を暴いていったニューヨークタイムズの記者たちのドキュメンタリーですね。
ニューヨークタイムズのこの一連の話が世界中で♯Me too運動が生まれるキッカケを作ったのは記憶に新しいですね。
タイムズはこれでピューリィツア賞を受賞しました。
さて、その世界中で注目された本の内容なんですが、社会的な意義だけでなく、単純に読み物として面白いし、勉強になります。
ワインスタインによる性的暴行の噂を聞きつけた記者たちが内密に調査をするところから話が始まるわけですが、これがなかなかうまくいかない。
その理由は、まず性的な暴行を受けた被害者はそもそもその話をしたがらないということ。
そしてワインスタインによる被害者の多くがすでに示談をしてしまっており、多額のお金と引き換えに何も喋れなくなっていること。
記者たちはこうした状況の中でオフレコで話をしてくれる女優や元従業員たちは見つけ出すものの、なかなかオンレコで記事に書いてもいいという約束を取り付けられません。
そうした中で感心するのは、この記者たちのジャーナリストとしての姿勢です。
勝手に記事を書いてしまうわけでもなく、強引にオンレコの約束を取り付けるわけでもなく、あくまで取材対象者が喋ってもいいと言い出すまで待ち続ける。
そして出来る限り取材対象者に配慮し、彼女たちが安心して話せる環境を作り出すべくさらなる情報を探っていくわけですね。
昨今日本では大手メディアの報道スタンスには疑問が投げかけられることが多いですが、ジャーナリズムとはこういうことなんだというのがこの本を読むとよくわかります。
結果的にワインスタインは追い詰められることになりますが、そうした目に見える成果がみえなくても、ジャーナリストは常にジャーナリズムとは何なのかということを考えながら取材をして記事を書くことが大事なんだということがよくわかりました。
話の内容としてワインスタインの話だけ見ると、わかりやすい勧善懲悪の話になっているので痛快感があります。
エンターテイメント小説なら、ワインスタインが逮捕されたところで話が終わるのでしょうけど、この本がすごいのはそこで終わらずにワインスタインが逮捕されても未だに変わることのない社会の問題をキチンと示している点です。
♯Me too運動が一気に広まったあとで、正確性を欠く、もしくは事実を確認出来ない話までもがネットを中心に次々と晒されていくことにはジャーナリズムの観点からしっかりと表明していますし、また♯Me too運動が起きた後でも結局世の中が変わっていないといことをカバノー最高裁判事就任を例にとり、非常に効果的に伝えています。
そしてラストの人種や経済格差を超えた被害者たちによる座談会は、未来への希望を感じさせるものであったので、この座談会のエピソードで最後に本をまとめているのはとても良かったと思います。
それにしても90年代くらいは、ホントにヒットする映画を観るたびにミラマックスが作っているんだなと思ってましたが、その裏でこのようなことが起きていたとなると、映画ファンとしてはとても残念ですね。