「オベリスクの門」
著 N・K・ジェミシン
「第五の季節」シリーズの第二弾の話ですね。
「季節」を引き起こしたのが誰かがわかったところで前作は終わったのですが、本作はそこからの続きになります。
カリストマに辿り着いたエッスンがその地に根付き、その地を守るために帆走する様子が、オベリスクの門の開門への道筋とともに描かれています。
同時に夫ジーニャによって連れ出されたナッスンの様子も描かれるのですが、エッスンがナッスンを愛しているのに対して、ナッスンはエッスンに対してあまりいい感情を描いていないということに、この物語の癖の強さを感じますね。
全体的に長い作品で、長い割には動きがないという印象が強いです。
第一部の「第五の季節」では一人の人物を時系列が違った角度で別人のように描かれていて、それが一つにまとまっていくという構成的なダイナミズムがあったのですが、本作ではエッスンとナッスンの二つの流れが単純に交互に流れているだけで、構成的に特筆するべき点はありませんでした。
あくまで続編として見なければならず、単純に一つの作品としては評価がしづらい作品だとは思います。
これだけ見た人は、当たり前ですが長い分だけかなり読むのが苦痛であったとは思います。
ただその反面で、第一部から引き続き見ている人にとっては、話がどんどんと奥深く広がって行くので、食い入ることが間違いのない作品です。
そういう意味では、優れた長編SFの条件を充分に満たしている作品ですよね。
実際、分量は長いのですが、その長さを感じさせません。
それはこの作品の特徴として、世界観をほとんどフルスクラッチしており、作者が描いたこれでもかというその世界観が詳細に、そしてかなりのリアリティを持って語られているからだと思います。
SF作家を目指す人には、SF小説における独自の世界観とはこうやって描くんだということが非常によくわかる教科書のような作品ですよね、このシリーズは。
さて、この作品における重要なファクターとして、その重厚な世界観とともに感じるのは、テーマ性です。
ただ冒険活劇やミステリーに終始するのではなく、本作の素晴らしい点は、あくまでテーマを語ることに明らかに重点が置かれている点です。
具体的にいえば、それは「差別」についてです。
「第五の季節」のときにも思いましたが、設定として目を見張るのがやはり「オロジェン」という特殊能力を持った人間で、その特殊能力を持っているがゆえに差別をされている点です。
「オロジェン」の差別用語として「ロガ」という言葉すらも使っている点にリアリティを感じます。
第一部に比べて、この点においても、主人公のエッスンの視点を通して、「差別」とは何なのかが非常によく深掘りがされていて、その点だけでもこの作品が語られるべき作品だということがわかりますね。
どうして、このテーマについて、ここまで深掘りが出来るのかと思ったら、作者が黒人かつ女性であるという、マイノリティであるがゆえということが解説に書いてありました。
その話を聞いて妙に納得しました。
確かに、これまで世界的に知られるSFは、男性であり、白人であるということに圧倒的に偏っていたので、自分たちが差別されるという経験が少ないがゆえに、「差別」がテーマになることはあまりなかったんですよね。
あっても、あまりそこに真に迫ったものではないというか、リアリティがないというか。
その分、この作者は「差別」をされるということがどういうことなのかを非常によく理解しており、それが書きたいが故に、この長い小説を書いているんだなと言うことがよくわかります。
惜しむらくは差別をする側をもう一歩踏み込んで描いてほしかったなと言うのは、ここまで読んで思ったところですが(ジージャに代表される。「オロジェン」が怖いから、という理由はその通りだと思うが、それだけではないとは思うので。ちょっとジージャの描き方が差別をするん人間のステレオタイプに見えたし、ジージャがこのキャラクターなら、なぜエッスンが彼を選んで結婚をしたという整合性がとれていない)、そこはちょっとないものねだりですかね。
とにもかくにも、ここまで読み進めると、第三部が早く読みたくてたまりません。
いやあ、本当にこうした優れたSF小説を読むというのは、贅沢な時間ですね。