「所有とは何か ヒト・社会・資本主義の根源」
編著 岸政彦/梶谷懐
「所有」について、経済学や社会学、人類学など様々な立場の研究者がひもといた作品です。
以下の内容で構成されています
第一章
所有と規範——戦後沖縄の社会変動と所有権の再編
第二章
手放すことで自己を打ち立てる――タンザニアのインフォーマル経済における所有・贈与・人格
第三章
コンヴェンション(慣習)としての所有制度——中国社会を題材にして
第四章
経済理論における所有概念の変遷——財産権論・制度設計から制度変化へ
第五章
資本主義にとっての有限性と所有の問題
第六章
アンドロイドは水耕農場の夢を見るか?
どれも専門家による濃い話で、所有についての理解が深まりました。
個人的に面白かったのが第二章。
タンザニアで研究する人類学者の話なんですが、「所有」に関するタンザニアの人の考え方が非常に面白かったです。
端的に話すと、タンザニアではいわゆる「所有」というものをほとんどしないそうです。
どんどんと転売してしまったり、人から請われればあげてしまう。
それは土地や職業であっても往々にしてそうだというのだからちょっと驚きです。
なぜ彼らは「所有」しないのかといえば、肩書や財産がその人間のアイデンティティだと考えておらず、彼らにとってアイデンティティとは人間関係だというのです。
どういうことなのかというと、政情不安定な社会の中では、「所有」をしていても制度などを常にひっくり返されてしまうことがあるので、「所有」すること自体に価値がないとまではいかなくても、そこまで重用視をしていないんですよね。
それよりも、自らが困難に陥った時にどれだけ助けてくれるの人がいるのか。
いかにそうした人間関係を普段から築けているかどうかがその人間のアイデンティティであり、価値であると考えているわけです。
これは、「所有」することが当たり前だと考えている日本人のわたしたちにとっては、驚きの考え方ですね。
でも、言われてみるとなるほどと思ってしまいます。
むしろそういう考え方の方が正しいような気すらしてしまいますね。
ちょっとこれまでの価値観を変えてくれる考え方でした。
もう一つ第三章で説明されていた水力社会についての説明。
ようするに畑作ではなく、稲作文化であるからこそ、東アジアの国では個人主義よりも家父長制的な社会制度が根付いたという話です。
稲作だと地域社会と協力して灌漑事業をしなければ、そもそも何も出来ないわけですから、自然地域の決め事であったり、ルールに従わないと生きていけないというわけです。
こうした文化のもとで先祖代々生きてきたからこそ、日本の含めた東アジアの国々では組織に従うというコンヴェンション(慣習)があるという話ですが、なるほど、それはそうかも思ってしまいました。
確かに小麦などの畑作であれば、個人でもやろうと思えば出来るわけで、だからこそ畑作中心の欧州では個人主義がコンヴェンションとして発達したとも考えられるので、納得できますね。
もちろん、こうした話には例外もあり、これだけで説明がつかなことはたくさんあるのですが、これもこうした考え方があるんだと勉強になりましたね。
普段何気なくしている「所有」にもその背景に様々な考え方や、在り方があるのだと知って驚きました。
当り前にしている行為だからこそ、これはひとり一人掘り下げて考えていくべき話なのかもしれませんね。