「欧化と国粋 明治新世代と日本のかたち」
著 ケネス・B・パイル
無茶苦茶読みごたえがある本でした。
なぜ無茶な太平洋戦争が起こったのか、明治時代に起源を発する思想の変遷が克明に描かれているのでこれまで以上にハッキリと明瞭になりましたね。
ていうか、この話の部分を日本の歴史教育の中では一番しっかりとやるべきところではないかと思うし、もっと言えば、この本時代が日本人皆が読むべき本なのではとすら思いました。
この本で取り上げてられているのは、明治時代に民衆の思想的なよりどころとなった民友社と政教社の二つの政治組織です。
まったく相反した思想を持ちながらも、実は重なり合うところがあったという二つの組織を追う音によって、明治時代における民衆の思想の変遷が浮かび上がってきます。
民友社を創設し、その中心人物であった徳富蘇峰は、歴史に詳しい人ならよく知られた人であると思います。
1880年代における徳富の思想は非常にわかりやすいです。
つまり富国強兵と殖産興業を成し遂げなければ、いつ欧米列強に植民地化されてもおかしくない状況下にある当時の日本にとって、西洋化は必須でした。
幕末から明治初期に生まれた世代は、初期教育は儒教教育をされてきたものの、突然、西洋式の教育を受けることになり、皆混乱していたわけです。
徳富もその一人でしたが、そうした時代の中で彼は、とにかく日本古来の文化をすべて捨て、西洋人になりきるべきだと彼は説いたのです。
スペンサーが説くところの軍事的貴族的社会段階から産業的民主的社会段階への移行を完全に西欧化することによって成し遂げようというのです。
これは徳富の盟友であった田口卯吉の理屈からも裏付けられます。
つまり、すべての文明というものは、必要に応じて自然に発達したものであり、人為的な制約がなければ、文明は不変の法則に従って発達し、文化的差異は必然的になくなっていくというということです。
そう考えると、西洋文化をそのまま受け入れることは理にかなった話であるし、屈辱的に思う必要性がないという話になる訳ですね。
民友社の徳富や田口の主張は1880年代において、彼らと同じ世代に絶大なる支持を得ました。
家父長制から逃げ出し、西洋文化を学びさえすれば立身出世が容易に望める社会状況であったのだから、それは当然のことと言えば当然のことと言えます。
ただこうした状況に疑問を抱いた人たちも同じ世代にいました。
それが政教社の人たちであり、その中でも中心であったのが三宅雪嶺、陸羯南、志賀重昴などです。
彼らは徳富らの欧化主義への趨勢が日本人の自己を失わせしまうと痛ましく思ったのでした。
彼らは強力な国民精神が帝国主義時代における自己防衛に欠くことが出来ないものであること、そして西洋人との弱腰な交際は屈辱的であると同時に危険であり、国家的独立には文化的自立性の保持が必要であることを論じました。
ようするに国粋保存を主張したわけです。
いわゆる国粋主義の始まりですね。
ただ1880年代においては、徳富らの欧化主義の勢いに、政教社の国粋主義は劣性を強いられました。
日本の文化とは何か、日本人らしさとは何かという問題に対し、政教社は統一した見解を持つことが出来なったことが大きかったのです。
しかし1890年代に入り、社会状況が変わってきます。
幕末に欧米列強と結んだ不平等条約の改正がうまくいかなかったことが大きな要因です。
不平等条約については、歴史の授業でも習うので聞いたことがある人も多いと思います。
「治外法権の撤廃」と「関税自主権の回復」ですね。
不平等条約の改正は、岩倉使節団以来、国家の最重要事項の一つでした。
その後も井上馨や大隈重信が外相として交渉しますが、うまくいきません。
むしろ欧米列強に対して、井上や大隈の姿勢が弱腰であると世間に見られてしまうようになっていったのです。
井上の肝入りで作られた鹿鳴館で行われる外国人を招待しての舞踏会が退廃的であると世間で強く批判されるようになり、行き過ぎた欧化主義が攻撃されるようになっていきました。
完全に世間の風向きが欧化主義から国粋主義に変わっていったんですね。
しかも世界の流れは、帝国主義が強まり、清(中国)や朝鮮に対する欧米列強、特にロシアによる関心が強まってきた時代です。
当然、これまで内政に重点を置いてきた日本もこの流れに乗って行くことになります。
朝鮮の宗主権を巡って清と対立し、戦争に発展していったのです。
この日清戦争の勃発と勝利が日本の世論を完全に変えていきます。
つまり国粋主義に傾いていた流れをさらに強め、それが確固たるものとなっていったのです。
注目するべきは、この時点における民友社の徳富蘇峰の変節です。
これまで欧化主義をとってきた徳富はこの考えをあっさりと捨てます。
ただ日本の文化や歴史を軽んじてきた彼は、政教社とまったく同じ主張をすることは出来ません。
そこで彼は、軍事力の強さそのものが日本のアイデンティティなのだと説き始めました。
つまり、強い日本であることによって文化的疎外感を克服し、日本人は日本人としてのアイデンティティを形成していくことが出来るのだと主張したのです。
そして国粋主義者によって施行されてしまった教育勅語がここで大きな意味を持っていくことになります。
そもそも西欧化によってもたらされた科学や技術を促進するために考案された教育制度は、教育勅語による日本の政治神話の教化に敵対する性質のものでした。
したがって、国粋主義が浸透していくうちに愛国教育が次第に若者たちを席巻していき、それによって若者たちの多くから力を奪い、彼らを政治的無気力になものへとしていったのです。
徳富らの主張に端を発して醸成されていったこうした風潮は、軍国主義と結びついて社会を席巻していきます。
そして日露戦争の勝利にと同時に、陸海軍の独走がその状況に拍車をかけていき、日本を太平洋戦争とその敗戦に導いていくわけです。
太平洋戦争の敗戦は、軍部によって主導されたものと考えている人が多いですが、それは違うということが分かりますね。
確かに軍部の独走はありましたが、多くの民衆も結局は軍国主義に日本のアイデンティティを求め、間違いなくそれを是認してきたのです。
ここで気を付けなければならないのは、徳富らが主張した軍国主義と、政教社が主張していた国粋主義とは厳密には違うという点です。
政教社は最初から欧米の文化を否定していたわけではなく、むしろそれを摂取することには推奨していました。
西欧文化を受け入れながらも、日本の文化や歴史を忘れず、日本人としてのアイデンティティを保っていこうというのが、彼らが主張する国粋保存の意味なのです。
ただ軍国主義者たちは、この「国粋保存」という言葉を便宜的に使い、さらにそれを怠惰の言い訳、保守主義の標語、そして必要な改革に対する反対や現状維持のための口実としていったのです。
この点においては、政教社の人たちは常に苦々しく思っていたようです。
この本を読んで、改めて世の中の思想というものは生き物のようであり、固定されたものではなく、内因外因から劇的に変わって行くことがよく分かりました。
とくに世代という観点でそれを解き明かしてくれたのは、目から鱗の発想でしたね。
維新を成し遂げた世代の次の世代(つまりは維新直前か直後に生まれた民友社や政教社の中心人物たちの世代)の世代が欧化主義から国粋主義、そして軍国主義への思想の変遷の中心にいたことがよくわかりました。
それと同時に、その思想の変遷の陰に問題となっている世代が年を取ったという点も見逃せないという観点ですね。
つまり彼らの世代の多くが青年期に自分たちの立身出世のために欧化主義に傾いていった。
しかし彼らが成長し、一部の人間しか立身出世にあずかれないとなったとき、彼らのうちで多くの人は欧化主義から離れ、国粋主義、ひいては軍国主義を主張することに自らのアイデンティティを求めることになったのです。
そして悲劇なのは、その次の世代です。
彼らはすでに教育勅語が施行され、軍国主義によって自由に物が言えない時代に青年期を生きることになりました。
つまり、あとから生まれた若い世代の発言権を奪い、さらに彼らをうまく洗脳にも似た教育をして行くことで、歯止めがもはや効かなくなっていってしまったんですね。
何だか現代にも通じる話だし、なぜ戦争が起きるのかを考えた時に非常に重要な話だと思いました。
本当にこれこそ、歴史の授業で学ぶべき文脈ですね。
間違いなくもっと早く知りたい話であったし、多くの日本人に知ってほしい話でした。