「西南戦争 民衆の紀 《大義と破壊》」
著 長野 浩典
西南戦争を薩摩軍や官軍からではなく、民衆の側から描いた本です。
戦争の当事者の側の話になってしまうと、そこに大義やら何やらが入ってしまうのですが、どんな大義があろうと戦争は破壊行為でしかありません。
巻き込まれた民衆からしてみたら、ただ溜まったものじゃない話なんですよね。
この本では、主に宮﨑や大分についての話について語られています。
宮﨑や大分は西南戦争後半での戦地で薩摩軍が追い詰められていく場所でもあります。
追い詰められている分、あとがなく余裕もなくなった薩摩軍は色々と強引に民衆に求めていきます。
まずすでに食糧やお金が足りていないので、それは現地から調達することになります。
また人や宿も足りていないので、これも当然多くの場合は人の場合は現地で募集し、宿や病院に関しては接収することになります。
もちろん、これは薩摩軍だけではなく、場合によっては官軍でさえも現地で調達することになります。
とくに人手に関しては、いわゆる人夫や病院掛、飯炊き掛などはどの戦場でも足りないので、当たり前のようにたまたまその場所に住んでいた人々が徴用されるわけです。
また薩摩軍に至っては、兵士でさえも地元の士族を無理に徴兵することもあるわけですから、薩摩軍の大義に疑問を持つ人にとっては、たまったもんじゃない話ですよね。
しかも戦後、薩摩に組した人は、政府から補償をしてもらえなかったりするわけですからね。
現実の戦争として、そこにいる兵士にも民衆にも日々の生活があり、その日常がいかに壊されていくのかという話がリアルに伝わってくる本でした。
当り前の話ですけれど、そこら中に屍が転がっており、その臭いもすさまじく、民衆たちも巻き添えで死ぬ可能性があるわけであって、それらを全部ひっくるめての戦争だということです。
数字として、兵士の何倍もの人数の民衆が人夫として徴用されていたことには正直かなり驚かされました。
しかも中には半分脅されて出仕させられた人も多数いるのですからね。
無茶苦茶な話と言えば、無茶苦茶な話です。
また家が焼かれ、畑も荒れ果てて行かざるを得ない中で、たくましく兵士相手に商売をする民衆も多くいたことにリアリティを感じますし、戦争中、コレラなどの伝染病が蔓延していたことも、なかなか伝わらない戦争のリアルだと思いました。
こうして改めて考えてみると、やはり何のために戦争をしなければならなかったのかという話になりますよね。
薩摩の武士の一部には大義があり、そこに死に場所を求めたのかもしれませんけれど、巻き込まれた人たちからしたら迷惑以外の何ものでもない話ですからね。