「藤村多希 ――明治を生きた産婆――」
著 渡辺せつ子
まったく無名の人なんですが、それだけに興味深い話でした。
あまりに資料がないために、小説という形をとっていますが、実在の人の生き様を詳しく描いてくれているので、いわゆる偉人の話よりもある意味でこの時代の空気感のようなものがよく伝わってきます。
産婆という職業にスポットを当てていることにも惹かれますね。
確かに産婆は昔からある職業です。
経験によって培われる部分は大いにあると思いますが、ただ地域によっては迷信めいたことを母子に強いており、結果的に死に至らしめてしまうこともあったのも事実です。
明治政府としては、これまで産婆業をやってきた人で、四十歳以上の人に関しては、仮免許を与えて産婆業を続けることを許しましたが、それ以下の世代に関しては国が定めた資格を得なければ、産婆として働いてはいけないと決めました。
後世に生きる私たちの感覚からすれば、命に関わる話なのでちゃんとした専門知識を得た人が産婆業をするのは当たり前のように聞こえますが、この時代に生きる人々からしたら、当然なんじゃそりゃという話になるでしょう。
何せ、資格を取るためにはお金や時間が必要となってきますからね。
この物語の主人公である藤村多希もその一人でした。
夫と離縁して実家に出戻ってしまい、一人で生きる決意を決めて産婆の下に弟子入りした矢先に、政府に免許を取れと言われてしまったわけです。
たまたま無料で教えてくれる産婆教授所が出来て、東京で働く兄を頼ることが出来たことで、どうにか多希は産婆になることが出来ましたが、資格を求められたことで産婆として働くことを断念せざるを得なかった人もたくさんいたんだろなということは容易に察せられました。
それにしても、この話を読んでいてわかるのは、いかに女性が虐げられていたかということ。
つい百五十年前まで、女は嫁として姑の言葉に絶対服従で、子どもを産めなかったら離縁というのが当たり前の世界だったんですね。
未だに日本ではジェンダー差別が酷く残っていますが、この頃はそれにもまして酷いということがよく分かります。
そもそも女性が自立出来る職業というものがごく限られたものしかない時代ですからね。
その中で産婆はその数少ない職業の一つだったわけですが、これが資格化されてしまったことで相当な混乱があったのだということがよくわかりました。
明治という時代を通じて西洋化がいかになされていったことを肌感覚で知るには、非常に面白い本でした。