「マダム貞奴 世界に待った芸者」 著 レズリー・ダウナー

「マダム貞奴 世界に待った芸者」 

著 レズリー・ダウナー

明治時代中期に世界的なスターとなった貞奴の伝記です。

近代以降において日本初の女優といえば松井須磨子の名前を思い浮かべる人も多いと思いますが、正確には貞奴です。

しかもあまり現代には知られていませんが、貞奴は日本というよりは欧米で活躍していました。この時代においてサラ・ベルナールやエレン・テリーと並び称されるぐらいだったので、今で言うならハリウッドスター並みの知名度があったんですね。

この時代に女優として世界ではそれほどまでに活躍していた日本人女性がいたこと自体に驚きですが、彼女の人生そのものをこうして伝記として読ませてもらうと、人生全体が波乱万丈過ぎて驚かされます。

そもそも貞奴は花街に養子に出されて芸者として人生を歩み始めるのですが、わずか十代半ばでトップ芸者となった彼女の顧客は、時の最高権力者であった伊藤博文を筆頭に当時の政財界の大物ばかりです。

伊藤の愛人となった彼女は、伊藤が夏島で井上毅らとともに大日本憲法の草案を作っていた際にも同行していたんですよね。

その後伊藤から解放された貞奴は、新派劇の創始者として世間で注目を浴びた川上音二郎と結婚しますが、ここからがもう漫画の話かと思うぐらい目茶苦茶です。

明治の女性らしく、貞奴は演劇人である音二郎を陰ながら支えますが、経営感覚に疎く、私生活も無茶苦茶だった音二郎に翻弄されます。

結果的に多額の借金を背負って一か八かの賭けで一座とともにアメリカに渡るわけですが、これが彼女の道を開くことになるからわかりませんね。

当初あくまで音二郎の妻として一座の渡航について行っただけの貞奴でしたが、彼女の美貌とトップの芸者として培われた技がプロモーターの目に留まり、彼女を女優へと仕立て上げていきます。

そしてこれが大当たりします。当時日本人なんて知らなかった多くの欧米人が本物の芸者に熱狂していくんですね。それでも騙されて一座は一文無しのピンチにも立たされますが、それを乗り越えて貞奴の名が瞬く間に広がっていくわけです。

欧米の要人が彼女の劇をこぞって鑑賞し、パリ万国博覧会でも公演、さらに時のスターであったヘンリ・アーヴィングやエレン・テリーには絶賛され、さらにはピカソにポスターを描いてもらい、ロダンには彫刻のモデルになるように懇願されるという、出てくる名前のスゴさだけで、いかに彼女の人気が凄まじかったかがわかりますね。

ただ貞奴の日本での活躍は海外のそれに比べれば皆に受け入れられたという訳ではありませんでした。海外では日本というものを未だに知らなかった故に売れたという部分が多く、本物の歌舞伎などを知る日本の文化人の多くにとっては貞奴や川上一座がやっていることはまがいものでしかなかったんですよね。それが故に貞奴の名前と業績が時が経つに連れて軽視されていったのは残念です。

しかし貞奴が女優の草分け的な存在であったのは事実ですし、貞奴の活躍がなかったら、女優という職業が当たり前となるのが何年も遅れたことは事実です。

貞奴は今となっては知る人ぞ知るという存在ですが、もっと多くの人に彼女を知ってほしいですし、演劇史においてももっと彼女の存在は評価してほしいですね。