「近代日本経済の形成 松方財政と明治国家の構想」
著 室山義正
明治十四年の政変後に大蔵卿に就任した松方正義の経済政策について詳しく精査した本です。
松方の話をする前に、それ以前の状況がどうであったのかを説明すると、政変前までは財政担当参議であった大隅重信によって積極財政が行われていました。
なぜ大隅が積極財政を盛んに進めていたのかというと、西南戦争において戦費調達のために紙幣を刷りすぎてしまい、激しいインフレが起きてしまっていたからです。貿易赤字が大きいためにいつまでもインフレを抑え込めないのだと結論づけた大隈は、内外債で五千万円を募集し、これを国内産業に投資することによって殖産興業を進め、国内産業に競争力を持たせた上で貿易赤字を減らし、そしてインフレを抑え込もうとしたのです。
当時の最高権力者であった伊藤博文はこの大隈案を支持しますが、松方ら一部の高官は反対します。なぜなら内外債の多くは外国が買うのが既定路線であり、万が一お金を返せない場合は、それは日本自体が植民地化される恐れが出てくるからです。つまり、そんな危険な賭けに日本全体を巻き込むべきではないという話ですね。
結局政変によって大隈が追放され、松方が大蔵卿になったことにより、大隅による内外債案は闇に葬られ、積極財政政策も方向転換されることになります。
そして大蔵卿に就いた松方が具体的に何をやったのかというと、一言で言えば紙幣消却です。
つまりたくさん刷りすぎてしまったが故に紙幣の価値が銀(貿易における当時の交換通貨)よりもはるかに低くなってしまい、それが故に市中に紙幣が溢れてインフレになっているのだから、この紙幣の量自体を減らしてしまえという話です。
松方としては、紙幣と銀の価値を等しくすると同時に中央銀行を作り金融の近代化を図ろうというのです。
結果から言えば松方のこの試みは成功しました。長いスパンで歴史を見れば、むしろこの時点で松方がこれらの措置をとらなければ日本の経済発展はなかったとは言えませんが、少なくとも数十年は遅れていた可能性が高いからです。
松方による緊縮財政と金融の近代化によって体力がついた財政が原動力となり、その後の経済的な急成長をもたらしたんですね。
しかし松方によるこの政策は、痛みを伴いました。紙幣消却によるインフレ抑制をしたために、急激にデフレになってしまったのです。松方デフレと呼ばれ、当時の民衆からは不平が山ほど出て、松方は不人気でした。
ただ長い目で見れば松方の政策は金融を近代化させ、日本の繁栄の礎を築いたとして、多くの専門家からは評価されています。
この本の作者もその一人で、この作者はさらに突っ込んで松方デフレは本当に不況であったのかを精査しているんですよね。
そして驚くべきことをこの本は証明していきます。それはすなわち松方デフレにおいて、製造業や商業はむしろ発展していたということ。確かに大隈財政期に積極的に投資をしていた農家こそ没落しましたが、その他多くの人はむしろ豊かになっていたんですね。
イメージと実態にかなりの違いがある典型的な例で、こうしたことは今もある話だなと思わされます。民衆は民衆で自分たちの不満のはけ口としてとにかく自分とは主義主張の異なる政治家をとことん攻撃しますし、政治家もまた権力争いにこれを利用するんですね。
民主主義国家の国民である以上は、わたしたちも一時の感情に流されるのではなく、しっかりと長い目で国民の生活を考えてくれる政治家を選ばないといけないと改めて思わされた本でした。
あと政治家の政策がその後どんな影響を与えたのか、長いスパンでの研究をもっとする必要がありますし、国民もまたそれを詳しく知る必要がありますね。