もしも世界から「文学」がなくなれば

「文学なんて役に立たない」という人が知らない世界の本質

独学大全を書いた読書猿さんの記事ですが、文学に触れている部分についてはその通りだと思います。

わたしもかくゆう文学部の出身です。
確かに文学部の勉強はそのまま会社に入ってから使える訳でもなく、ほかの学部に比べれば、就職率も悪いように思われます。
ただこれは、大学を就職の予備校、つまりいい所に就職をするために大学に行っているという考え方をしているからこそ、そう感じるんですよね。

そもそも多くの人が勘違いをしているのですが、大学はアカデミーであり、学者を養成する場所なのです。決して起業家を養成する場所ではないんです。
それがいつの間にか、就職をするために行く場所になってしまい、損か得かで学問が選ばれる始末になってしまっているわけなんですよね。
政府も国の利益に直結する理系学部を増やし、明らかに人文系の学部を減らしにかかっています。

でも考えてください。世の中が実学や理系だけの学問しかなくなり、文学やそれにまつわる学問がなくなれば、世界は本当に悲惨なことになるのではないでしょうか?

考えて欲しいのは、人間っていうのは、スキルだけじゃ生きられないっていうことです。
確かに今の世の中だったら、高度な実学や理系の能力があれば、お金を稼ぐことは出来るかもしれません。
でも、人間はたとえば、結婚し子どもを生んだり、友達との交流を結んだり、人と関わることによって生きているんです。
会社だってそうです。どんなにデジタル技術が発達したとしても、どこまでいっても人と人の関わりがすべての仕事の礎となっています。
そして、人とどう関わるか、その中で自分が何を悩み、何を考えればいいのか、それを学ぶのが文学部を含めた人文系の学問の意義なんです。
つまり、いいすぎかもしれませんが、そもそも人文系の思考がなければ、実学も理科学系の学問も発達出来ないんです。

いやいや、人文系のことなんてこれっぽっちも学ばなくても、オレは別にちゃんとやっているよ。

と反論する人もいるかもしれません。
でもそれは違います。教育がキチンとしている国に生まれれば、その国の言葉で国語や歴史を小学校から何年もかけて学んでいるのです。
音読を何度もし、国語の教科書に載っている物語を読む。
それがそのまま何かの知識に繋がるという実感がないからこそ無意味に思うのかもしれませんが、この繰り返しの行為こそが潜在的にわたしたちに社会文化を理解する力を養っているんですよね。

「文学」を学ぶ機会がなくなれば、わたしたちは物語を思い浮かべることが難しくなります。
そうすれば、自分自身でナラティブな振り返りがすることがなくなるので、悩んだり、壁にぶつかったりしても、それを言語化出来ず、乗り越える力が自分の中から現れ出て来なくなってしまうでしょう。
もちろん、過去の人が作った文学作品や映画作品を理解する力も乏しくなるし、人と人とのコミュニケーションについても、共通認識が出来ることが減るので、かなり困難なものになります。
当然、結婚や子育ても難しくなります。
つまり、人と人との関わりが難しくなり、共感も団結も出来なくなるわけですら、最後にはそれはもう強いものにひたすら従うしかない世界に人類は置かれてしまうのです。

そもそも「文学」には社会に対する抵抗の役目もありますからね。

表立ってこなかった人たちの感情が「文学」に書かれることによって、人は自分自身の悩みや後ろめたさ、怒り、その他の色々な隠された感情が自分にもあることに気がついてきたんです。そして、その気付きが世界を変えてきたんです。でもそれがなくなれば、「抵抗」が出来なくなるんです。

これからの話をすれば、わたしたちは簡単に大事なものを次々とAIに取って代わられるかもしれません。
実際に今現在のわたしたちは、積極的にナラティブを考えたり、想像を張り巡らしたりするよりも、かなりアルゴリズムによって支配されてしまっていますからね。そうした状態の中で、常日頃から立ち返られる頭を養っておかないと、わたしたちは取り返しがつかない選択をしてしまうかもしれないのです。

有名な話ですが医学生は、医学を学ぶ手初めにまず「ヒポクラテスの誓い」と呼ばれる物を学びます。医師の倫理・任務などについての、ギリシア神への宣誓文ですね。現代の医療倫理の根幹を成す患者の生命・健康保護の思想なども謳われています。

つまりこれは、単に病気が治せるだけじゃ医者としては不十分で、社会との関わりをキチンともてなければいけないという話ですね。

そしてこれは医者だけの話じゃないと思います。どんな職業でも儲ければそれでよしではなく、あくまで社会があり、その社会との関わりの中でしか人は生きられません。もちろん社会分断が起こって社会がおかしな方向に向かわせれば、それに声を上げて異議を唱える必要がありますし、自分たちも何が正しいことなのか悩まなくてはいけません。

そしてそうしまマインドを育てているのが「文学」であり、それに派生する「映画」や「ドラマ」や「マンガ」であるわけなんです。

もう一度言いますが「文学」がない世界は地獄です。いくら儲かればいいと社会を考えずに「文学」を軽視してしまえは、わたしたちは人であって人でない存在になってしまうかもしれないのですから。