わたしが東京オリンピックで最もスポーツマンシップを体現したと思う人。サイード・モラレイ選手を称えたい。

ソフトボールに、卓球、水泳、柔道…と連日感動を呼んでいる東京オリンピックですが、個人的現状でもっとも感動的だったシーンがあります。
それは、柔道男子81キロ級の決勝戦直後のワンシーンです。
試合に勝ったのは日本の永瀬貴規選手ですが、試合後、負けたモンゴル代表のサイード・モラレイ選手が永瀬選手の手首を取ってそのまま掲げ、永瀬選手の勝利を称えたのです。
試合後に儀礼としてどの選手も握手をしたり、軽くハグをしたりはしますが、このような態度を取るのは珍しいです。
実際わたしが今回の柔道競技を見た限りでは、こうしたスポーツマンシップに則った素晴らしい態度を戦いの後で見せたのは、このサイード選手と男子100キロ級の決勝で負けた韓国の選手だけでした。

これぞ!オリンピックというシーンで、こういうシーンがあるからこそ、オリンピックをやってよかったと思わせるシーンですが、ふとこのシーンを見ているうちに、ちょっとした疑問を持ちました。このサイードという選手、モンゴル代表となっているけれど、どうしてこんな堀の深い顔をしているのだろう、と。
モンゴルと言えば、日本人にとってイメージやすいのは、大相撲の白鵬や朝青龍、もっと古く言えば、歴史上の人物であるチンギス・ハンやフビライ・ハンです。
どれも典型的なアジアの顔であり、日本人に近い顔立ちです。
でも、このサイード選手は違う。しかも、そもそもサイードとい名前自体がモンゴルっぽくない。
そんな疑問に答える形で、出てきたのは下の朝日新聞の記事でした。

「あの国の選手とは戦えない」柔道代表が棄権 「五輪と政治」の現実

記事を読んで絶句しました。
要約すると、このサイード・モラレイという選手は、元々モンゴルの人ではなく、イランの人なのだそうです。
それが、2019年の世界選手権際に、勝ち進めばイランと敵対するイスラエルの選手と対戦する可能性が浮上したことで、母国であるイラン政府から出場を辞退するように脅迫されたそうです。
サイード選手は、スポーツと政治は違うと言わんばかりの態度でこれを拒否。
しかしその代償は大きく、母国には帰れなくなってしまい、モンゴルの選手として選手を続けるに至ったそうです。

何という気高い人でしょう。
普通、母国を失う、つまりは家族や友人と簡単に会えなくなるかもしれないという恐怖に負けずに、スポーツマンとしての倫理を貫くのは難しいです。
脅迫に屈したとしても、誰がその人を責められるでしょうか。
でも、サイード選手には勇気があった。
これはなかなか真似が出来る話ではありません。
こういう人だからこそ、決勝戦の後に、ああいった素晴らしい態度をとったのだと納得しました。

「イランの選手として、獲得できたはずの銀メダルだ。でも、残念ながらそれはできなかった。モンゴルにメダルを捧げます」

試合後のサイード選手のコメントです。イラン人としてオリンピックに出れなかったことと、モンゴルに対する感謝が滲み出ています。
これからも異国の地であるモンゴルで、慣れない生活をしていかなくてはいけないのでしょう。
でも、サイード選手のすばらしさは、全世界に伝わりました。
本当に、自分自身の行いに対して胸を張ってほしいです。

日本の金メダルラッシュもうれしいですけれど、それ同様かそれ以上に個人的にはこのサイード選手のような人がいるのだということを知れたことがうれしいです。