https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190127-00010001-bfj-soci&p=1
この記事を読んでなぜ宮﨑駿監督の作品がここまで日本中で愛され続けているのがわかる気がします。
何と言うのか、作品に対する真摯な態度というか、そもそもの問題意識というか探求度の高さが全然違うんですよね。
「もののけ姫」にハンセン病患者が出てくるのは、たぶんのべでも十分もないと思います。
このわずか数分をちゃんと描くために、ここまでしっかりと問題を自分のものとして消化しているんですよね。
もちろん、作品のためだけじゃなく、そもそも目の前にある問題に対して、ちゃんと考える。それが決して解決できるわけでもなく、百%わかるわけでもないのがわかっていても、ギリギリのところまで分かろうとする。
そういった生きる上での姿勢がそのまま作品に反映され、それだけ昇華された作品だからこそ、みんな自然と何度も宮崎作品を見るわけですね。
つまり、宮﨑作品はそれだけ考えて、練られて、葛藤した上で作られているので、それだけ奥深く、何度も見ても新たな発見がある作品になっているわけです。
“売れる”作品を作ること自体は悪いわけではないと思います。ただ作品とは、“売る”だけじゃなく、そもそもは作り手のメッセージを観ている人に伝えるためにあるべきです。これは、何も何かを表現する仕事だけじゃなく、すべての仕事に通じる話のはずです。
残念ながら、映画にしてもアニメにしても、宮﨑アニメがかつでそうであったほどの余裕を作品作りの中に持てないのは事実だと思います。
ただその一方で、宮﨑アニメというものが存在しているということも事実です。
どんな分野にせよ、これからの表現者たちには、この宮﨑駿監督の飽くなき姿勢を受け継いでいってほしいですね。