「コミュ障」が増えやすい社会

https://toyokeizai.net/articles/-/270361

入社試験の際の面接は、大抵の人は経験があると思いますが、確かに絶対的な基準で図られているというより、その面接官との相性や質問内容によって左右されてしまう所がありますよね。
まあ、そもそも三十分かそこいらの面接で、その人のすべてがわかるはずもなく、口がうまい人の方が優位だと思いますが、仕事をする上で他人とコミュニケーションを取ることがまず第一だと考えれば、少ししょうがないような気もします。

ただやはりこの記事にもあるように、営業職以外の、特に専門的な分野の採用に関しては、面接以外の部分での採点が大きくてもいいと思います。

問題は、やはりこれは日本が特にそうなのかどうかわかりませんが、あまりにも老若男女問わず全体的にコミュニケーションが苦手な人が多いということですかね。コミュニケーションについては、まんべんなく出来る人から普通、そして出来ない人までまんべんなく存在しているというよりは、どちらかというと、すごく押しの強いタイプと、明らかに苦手なタイプに二極化しているような気がします。しかも、困ったことに苦手としている人がとりわけ多いんですよね。

おそらくなぜこうなっているのかといえば、そもそもの問題点はやはり国の教育制度にありかたにあると思います。当然、政府もそれに気づいていてそこを改正しようと色々と教育改革をしようとしていますが、どうもその方向性として、欧米のやり方をそのまま真似して、主体性やディスカッションを重んじる感じになっているので、これではますますコミュニケーション能力が出来る人と、出来ない人の格差は広がってしまうように思われます。

確かに主体性を持たせることや議論は必要なのですが、問題なのは、声の大きな人間が勝つということを奨励するのではなく、多様性を認めること、つまりは主体性を持たせたり、テーマディスカッションをする際にも、相手を言い負かすのではなく、色々な意見があるのだということ、その上でそのコミュニティにとって、何が大事であるのかということを互いに認め合うという姿勢を持つことなのだと思います。

たとえ、少数意見であっても、突飛な意見でも言ってもいいんだよ。そういう空気が、日本の場合、社会そのものにないので、当然子どもたちも幼少期の頃から悪い意味で空気を読むようになり、物心ついた時には余計なことを言わないということが染みついてしまい、声の大きな人間が放つ意見に対して、なすがままになって、あとでぶつくさと愚痴を言う、もしくかため込んで暴発するという悪循環が習性として出来上がってしまっているんですよね。

まずは、大人が子どもに対して威圧的に接するのではなく、子どもなりの意見を言ってもいいんだよという雰囲気を社会に作り出していくことが大事です。まあ、今すぐ大人に変われと言っても無理だと思うので、おそらくこの話は、今から始めても数世代かかりそうな話になりそうですが、声の大きな人の意見だけが通ってしまう世の中と言うのは、結局は恐怖な世界にしかなりませんので、変えていく必要は絶対にあります。

コミュニケーションがとにかく強い者から弱い者へと一方的だという事実は、そもそもの国民性という得体の知れないもののせいなのか、太平洋戦争時の軍国主義の流れが未だに息づいているのかハッキリしたことはわかりません。
ただ一方的な支配的なコミュニケーションは、一見能率的に見えても、結果的には問題をはらむ結果になることは間違いないので、皆さん、身近なコミュニケーション不足に対しては、もっと積極的に相手の言葉に耳を傾けて、どうすればいいのかを相手からちゃんと聞き出した上で、解決方法を探るというプロセスを踏むような努力はした方は絶対にしたほうがいいと思います。
もちろん、そもそも話が通じないという人は確かにたくさんいますが、諦めたら、本当に声の大きな人の言いなりなるしかなくなっちゃいますからね。

聞く方にしても、喋る方にしても、相手があってこそのコミュニケーションだということを忘れずに、互いに共通の価値観のようなものを見出せること、また互いの差異を見いだせることは、どっちも素敵なことです。
そもそもそういうコミュニケーションを取れる人は、面接でも苦労はしないかもしれませんが、とにかくこれは面接官自身にも当てはまる話ですし、それだけじゃなく、ほとんどすべての人に当てはまる話ですからね。誰に何を言われようと、コミュニケーションを諦める必要もないし、またコミュニケショーンを恐れる必要も本当はないんですよね。民主主義の下で基本的人権が認められている以上は、相手に損害を与えない限りにおいては、本当は何を言ったって問題はない話であるはずなのですから。

社会でコミュニケーション障害という言葉がやたらと使われるのは、正直あまりよくない状態だと思います。
レッテル貼りになりかねないし、逆に言われた方にしてみても、エクスキューズにしてしまいがちですからね。

それよりも、対等にコミュニケーションを取ってもいいんだという雰囲気を社会を作っていくこと。
それが出来れば最初から問題はないのですが、まずはそういう意識づくりを生活の中でちょっとずつでもしていくことが大事ですね。相手の思うことを聞くことで、自分の見え方も変わることなんてことは、よくある話ですから。