https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63819
アメリカの学生は、いうほど勉強しておらず、日本の学生と大して変わらないという記事でしたが、なかなか面白い記事でしたね。確かにイメージとして、日本の学生のほとんどはちゃらんぽらんで勉強しておらず、一方でアメリカの学生は卒業するのが大変なので、無茶苦茶勉強していると勝手に思い込んでいましたが、実際はアメリカでも勉強しているのは、アイビーリーグのような一部のエリート校だけで、一般的には日本の学生と大して変わらないとのこと。もっと言えば、日本でもいわゆるエリート校に通っている生徒の中では、勉強している人はちゃんと勉強していますからね。
問題は、やはり日本の知的層たちが留学先として選ぶの学校にエリート校が多く、彼らが観た勉強するエリートたちが、アメリカ人の一般的な学生像として日本で喧伝されてしまったことにあるようです。
噂というか、イメージ先行で物事が伝わっていくことの怖さを感じますね。
それにしても、こういった記事でも格差を猛烈に感じる点がアメリカのすごいところですね。
記事によると、アメリカのエリートたちは、最初こそなぜ自分たちが特権を得ているのかモヤモヤするそうですが、エリート校で無茶苦茶勉強しているうちに、そうした勉強に耐えられる頭を持っているからこそ、当然だったのだと思っていくようになり、結局自らもまた自分の子どもたちを当たり前のようにエリート校に入れるというループを作っていくらしいです。何か、近代以前の貴族と感覚があまり変わりませんね。形が変わっただけで、身分制度が未だに残っていることを感じます。
一方で貧民層は、どんなに奨学金制度など頑張ればわずかにでも道が開ける政策を政府が取ったとしても、そもそも貧民層の子どもたちは、鼻から高等教育を受けるためのそうした制度があることを知らず、申請書を書く以前に挫折をしてしまうそうです。
文化資本がないというか、どうしても周りに高等教育を受けた人がいなければ、そこに行く意味を見いだせませんから、勉強すること自体が面倒くさくなってしまうのでしょう。
政策として形だけ機会均等にしてもあまり機能しないことがよく分かる話ですね。
小中高の時代の中で、高等教育がいかに必要なのかが子どもたち自身の間に浸透すればいいのですが、アメリカの場合、すでの幼少期のこうした時点でエリートたちが進む学校と、そうじゃない子が進む学校が分かれているので、それもとても難しそうです。
日本の教育システムにも問題はたくさんありますが、こうした話を聞くと、日本の方がまだ遥かに平等でマシなような気がしてきますね。