「おくりびと」
2008年公開/日本
アカデミー賞で日本映画初の外国語映画賞に輝き、一躍日本中で有名になった映画ですね。色々な意味で偉大な足跡を残した映画なのですが、日本映画が世界とどう戦えばいいのか、その方法を示してくれた映画でもあります。具体的に言えば、それは日本という国の特殊性を、いかにわかりやすく伝えるのか、ということなんですけれど。
ストーリーは、青木新門の「納棺夫日記」をもとに、ストーリーを作られたものです。オーケストラで、チェロ奏者をしていた主人公が、職を失い、妻とともに実家の山形に帰り、なし崩し的に、納棺夫という職業に就くという話であるのですが、話そのものに山あり谷ありといたダイナミズムがあるわけではなく、納棺夫という聞きなれない職業に就いた主人公の戸惑いを中心に、やや職業紹介映画的な感覚で、物語は展開していきます。
まあ、この「納棺夫」という聞きなれない職業をうまく扱っているところが、この映画が国内外で評価されたポイントの一つなんですけれど、やはり異質な文化を見せることは、単純に観ている人間に、新鮮味や驚きを与える結果となるので、人目について売れるという意味でも、映画祭において評価されるという意味でも重要です。
この映画では、そのあたりがここまでやるか、というほどに徹底されているんですよね。普通ストーリーを作るときは、物語があって、その物語を生かすために、主人公をどんな職業にするのかを考えるのですが、この映画では、まず主人公の職業があって、そこからストーリーが作られているので、完全に「納棺夫」とは何なのか?というところに焦点を当てて作られています。
まあ、見知らぬ職業を描く場合は、それだけで成り立つので、この方法でストーリーを進めても何ら問題はないと思います。ただ個人的には、必要以上に納棺夫=忌み嫌われる職業、みたいな感じて無理に煽って、二元対立を作ることにより、この「納棺夫」という職業の特殊性を浮かび上がらせるというやり方には少し違和感を覚えてしまった部分もあるのですが。
確かに、忌み嫌われ、誤解を与える職業で、そこを違うんだよと、いうところがこの映画の肝となっているのですが、年配の人ならともかく、幼馴染の友人や、都市部で育ったと思われる若い妻までもが、ただその職業だからといって、そこまで過敏に反応するのかな、とちょっと思ってしまったんですよね。もちろんそういう人もいるかもしれないんですが、ただ彼らの場合は、忌み嫌うという感覚で、「納棺夫」という職業に、拒絶感を覚えさせるのではなくて、あくまで単なる「無知」や「無理解」によって、距離を置いている、という感じのほうが、実際リアルなのかな、と思いました。そのあたりは、制作者側とぼくとのジェネレーションギャップなのかもしれないのですが。
ただ、二元対立でそういった風に描いたほうがわかりやすいのは間違いありません。つまり売れることや、賞を獲るということを考えれば、この方法論は正解なのかもしれないんですよね。そのあたりは、各々の感覚での問題でしかないので、判断は難しいのですが。
ちょっとあれこれ書いてしまいましたが、ただ内容やテーマ性は非常にいいと思います。こういうものが日本の代表として世界に評価されて、よかったと思える作品ですね。個人的に印象に残ったのは、主人公が社長と白子やフライドチキンを食べるシーン。社長の、「死体を扱う自分たちのような職業は、みんなから忌み嫌われるけど、人は、生き物の死体を食べて生きている。しかも困ったことに、これがうまい」というニュアンスのセリフは、かなり真理をついていて、心に残った言葉でした。
それにともなって、「納棺夫」という職業についても、ただぞんざいに死体を扱うのではなく、そこに優しさが見られるというのが、とてもよかったです。確かに、自分の家族とかの最後には、こういう人達にちゃんとやってほしいと思いましたね。
あと物語のラストについてなのですが、正直ちょっと読めてしまったのですが、それでもいいラストでした。全体的に役者がいいですからね。個人的には、自分のことを告白する余貴美子の演技に呑まれてしまいました。石文のアイデアもとてもよかったですしね。
しかし滝田洋二郎という監督は、いろんな意味で面白い監督ですね。演出方法としては、絵に意味をこめて見せるという感覚よりも、つなげて、つなげて見せる、つまりは、職業監督的な手法を取っているんですけれど、それでいて、こういう芸術性の高い作品も、自分のカラーでまとめてしまうんですからね。たぶん、芸術性と商業性のバランスが自分の中でキチンと取れている、とても珍しいタイプの監督なんでしょうね。