「ミリキタニの猫」

「ミリキタニの猫」
2007年/アメリカ

ドキュメンタリーがここまで奇跡につながる話って珍しいですね。
話は、映画作家であるリンダ・ハッテンドーフがNYの路上で一人の老人ホームレスに出会うことから始まります。
老人の名は、ジミー・ツトム・ミリキタニという日本人で、路上で絵を描きそれを売ることで生きている男性でした。最初は猫の絵を描いてもらい、代わりにビデオで彼が描いている姿を撮るといったぐあいの交流でしたが、9.11が二人の関係を大きく変えます。
有毒ガスが立ち込め、皆が避難するしかない中で、リンダは何と自分の家に来るようにジミーに誘うのです。
独身女性が、ホームレスの老人男性を家に泊らせる。常識的には考えられないことです。ただ彼女は、のちのインタビューでただそうしなければいけないと瞬時に思ったと口にし、それまでの何か月もの間で彼との信頼関係があったので何も心配はしていなかったといいます。
二人で生活することで、ジミーという人間の歴史がどんどんと見えてきます。それは、通常の教育では知らない歴史の話であり、彼の苦難の歴史です。
単純に、歴史っていうのは教科書に書かれていることだけが歴史ではなく、こうした一人一人の中にあるものだということをジミーを通じて、この映画では学ばされるのです。
実際、ここで語られるのは、太平洋戦争が開戦するにあたって、アメリカに住んでいた日本人であるジミーが米国市民権を持っているにもかかわらず、収容所に入れられた話であり、戦争が終わってからもホームレスになるまでの苦難の道のりです。
戦争中、日系人が収容所に入れられていたという話は、ちょっと歴史に詳しい人なら知っているかもしれませんが、それがどういうものであったのか、また彼らが出た後どうなったかなど、大抵の人はほとんど知らす、歴史に埋もれていく話ですからね。
ジミーによって語られる物語の大きさと、それがどうやって現在に繋がっていくのかを知るだけでも、この映画は大きな価値がある映画だと思います。
もちろんジミーの絵の才能や彼の描く絵の迫力にも圧倒されます。
ただ個人的にわたしがこの映画で一番いいと思ったのは、ジミー本人に対して、この映画の監督であるリンダという女性が高齢のホームレスであり、日本人であり、アーチストであるジーミーと互いに尊重し合いながらも、対等な関係を気づいていく物語性です。
さらに、リンダの善意が共同体の善意を呼び、頑なだったジミーが変わっていく姿をみると、人間は捨てたもんじゃないと思わされます。
正直、リンダという人間そのものがとても好きになりました。
映画って本当にいいなって、思われる作品です。