「バック・トゥ・ザ・フューチャーPARTⅢ」

「バック・トゥ・ザ・フューチャーPARTⅢ」
1990年/アメリカ

言わずと知れた人気シリーズの最終編です。
PARTⅡでこれみよがしに終わらされ、焦らされた挙句にようやく公開された作品ですが、待望された割には、興行的にはアメリカでも日本でもそれなりにヒットはしたものの、期待していたほどではなかったようです。
興行的にイマイチ伸び悩んだ理由としては個人的には大きく三つ考えられると思います。
①まず単純にPARTⅠとPARTⅡを観た人じゃないと話の繋がりがよくわからない故に、両作品を見たファンしか映画館に行かなかった、つまりは一見さんお断りのような状況になってしまったこと。
②PARTⅡで、これぞタイムトラベルの話と思わすほどに、未来に過去にと縦横無尽に行き来したいたものが、シンプルな過去から未来に戻るという話になってしまったこと。
③デジャビュ効果でそれまでは観客を笑わせていたものが、さすがに三度目になると飽きられてしまったこと。

①については、そもそもPARTⅡの作りをPARTⅠからの連なりにしてしまった点、そして、PARTⅢに結を投げるような形でPARTⅡを作っているので、もはやしょうがないとしかいいようがない話です。ある意味で、PARTⅡのぶっ飛び感に対して、それを話としてまとめなきゃいけないPARTⅢが犠牲になった形と言えるでしょう。
②に関しては、シリーズをまとめることが運命づけられている点で、PARTⅡよりもシンプルにしなきゃいけないのはわからないでもないのですが、選んだ時代が西部開拓時代というのが結構微妙だったかもしれません。まあ、歴史が浅いアメリカで、しかもデロリアンは時空は飛べても場所は選べないという設定なので、そうすると過去に行き過ぎると、西部開拓くらいしかないのですが……
これは③にも関わることなんですが、デジャビュ効果が西部時代だとどうしても薄まってしまうのですよね。血の上での関わりしかない先祖たちとのデジャビュを見せられても、やはりPARTⅠやPARTⅡに比べると少し薄く感じてしまうんです。
最初、PARTⅡの構想段階では、1955年に再び戻るのではなく、1967年に戻る(つまり2015年のビフが若き日の自分にスポーツ年間を渡すのが、1955年ではなく、1967年)という設定が考えられていたそうですが、個人的にはPARTⅢで、西部時代ではなくこっちの1967年に行った方が面白かったかなと思います。
そっちの方が同じデジャビュでもやはり血縁的に近いお父さんやお母さん、そしてビフ本人との話が繰り返されるわけですからね。
時代的にもベトナム戦争が起こり、ヒッピー文化が興隆していた時代に、ロレイン、ジョージ、ビフがどのように過ごし、どう関わっていたのかを見てみたかった気がします。ただジョージ・マクフライ役のクリスピン・クローヴァーがPARTⅠで降板してしまっていたので(PARTⅡで逆さ吊りで出てきたジョージは別の役者)、実現するのは難しかったかなとは思いますが……
まあ、構成上の不遇さから、あまり前作、前々作に比べると語られることに少ないPARTⅢですが、個人的にはガソリンがなくなったデロリアンを列車で押して未来に戻すというアイデアは大好きです。
シーンとして最後のシーンと、未来に戻ってデロリアンが大破するまでの流れはかなり息を呑む展開でした。
デジャビュ効果も相まってこのシリーズの「らしさ」もしっかりと醸し出していましたからね。

若き日に大興奮した三部作ですが、PARTⅡで近未来として描かれていた2015年もとっくに過ぎてしまいました。
若い子にこの映画の話をしても、あまり知らないという反応もされます。
同時期のヒット作である「トータルリコール」が早々にリメイクされたのを考えると、近い将来、このシリーズもリメイクされるかもしれません。
イメージを壊されるかもしれないので、観たいような観たくないような気もしますが、やはり制作されてしまうと気になってしまうんでしょうね。