人はなぜ大人になるとガンダムに出て来るランバ・ラルに惹かれるのか?

ランバ・ラルといえば、アニメ「機動戦士ガンダム」に出て来る敵役ですね。アムロのライバルであるシャアと違って、ビジュアル的にはおじさんであり、おおよそ子どもが好むタイプではありません。
でもファーストガンダムを子どもの頃に観ていた人たちの多くは結構このおじさんのことが好きとは言わないまでも気になっていたんじゃないでしょうか?
そして大人になって社会に出ると、多くの男性の中には、「ランバ・ラルみたいな上司がほしい」とか「ランバ・ラルみたいな渋くてカッコいい大人になりたい」という願望を一度くらいは抱いたことはないでしょうか?

なぜ大人になると、人はランバ・ラルに惹かれるんでしょうかね。その答えこそに「機動戦士ガンダム」という物語のテーマがあるように思われます。

「機動戦士ガンダム」。言わずと知れたロボットアニメの金字塔であり、すでに40年もの間シリーズが続いている物語ですね。
ほとんどの人が、ガンダムと言えば、やはりモビルスーツと呼ばれるロボットであったり、リアルな戦争描写を思い浮かべると思います。
でも、この物語のテーマは、「ロボット」や「戦争」ではなく、「人がいかに分かり合えるか」なんですよね。
そして、ファーストと呼ばれる一番最初の物語を今見直してみると、そこに現代にも繋がる人間関係の描写がまざまざと描かれていることに気づかされます。

この物語は、どうしても主人公であるアムロと、ライバルであるシャアの二人の関係を中心に語られることが多いのですが、物語は基本的に、アムロが乗る宇宙戦艦ホワイトベースの人間模様を中心に語られています。
そもそも最新鋭の宇宙戦艦であるホワイトベースに、なりゆきによって見習士官と避難民ばかりが乗り込むことになり、ひたすら敵から逃げる、というところから物語は始まるのですが、死地を潜り抜けていくうちに、限られた空間の中で、苛酷な環境下に置かれた人間たちが良くも悪くもいかなる関係を作り出していくのか、という部分にどんどんと焦点が当てられていきます。
そして、ほかの物語と違って、この物語のすごいところは、安易に分かり合うのではなく、味方であっても分かり合えない部分や折り合いがつけられない人間の暗部のような面をこれでもかというほどに表現している点です。
つまり、人と人とが分かり合うとは、そんな簡単なことじゃなく、現実問題として乗り越えなければならないものがたくさんあるのだと言っているのですね。
これは、「伝説巨神イデオン」でも語られているテーマであるので、原作を書いている富野監督にとっては、基本的なテーマなんですね。

ホワイトベースに乗り込んだ人間たちは、戦争という非日常的な経験を通す中で、やはりその人間関係も複雑さを醸し出して行きます。これは、戦争という特殊な状況と言うことを除けば、いかなるコミュニティにも起こり得る話です。
会社や学校でも、出来る人間がいれば、そうじゃない人間もいる、文句だけを言う人間もいれば、とにかくみんなをまとめようと力づくでどうにかしようとするやつもいる。ガンダムがこれだけ多くの人から支持を得ているのは、実は誰もが様々な場所でぶち当たり、悩むような状況をリアルに描いているからなんですよね。

実際、物語の中盤で、人と人とのぶつかり合いがピークに達します。
発端は、ガンダムを扱い、幾度となくみんなを救ってきたアムロが脱走するところから始まります。アムロは、ほかに出来る人がいないからしょうがなくやっているだけなのに、そんな自分の気持ちをわかってくれないという気持ちが強く、自分の殻に閉じこもってわだかまっていくんですよね。
一方で、若いながらも軍人であり、みんなをまとめなければいけない立場のブライト艦長は、アムロにキツく当たるのが当たり前であり、アムロが頑張らなければ、みんなが死ぬと思い、自分がみんなまとめなきゃならないと、常にいっぱいいっぱいの状態です。
当然、アムロの勝手な行動に怒るクルーや、単純に非凡なアムロの才能をねたむクルーもいて、さらに常に敵に追われているという状況が恐怖と不安を掻き立てています。
そんな中で、バラバラになっているみんなをどうにかつなごうと頑張っているのが、ブライト艦長と同じ、数少ない職業軍人であるリュウ・ホセイです。彼は、当初からブライト艦長とそのほかに人たちの関係の間に入り、兄貴的な存在としてどうにか状況を良くしようと奮闘しています。
やや地味な存在なんですけれども、実はこのときまでのホワイトベースは、リュウ・ホセイがうまくバランスを取って人間関係を保たせているんですよね。

そして、そんなバラバラになる一歩手前の状況で、ホワイトベースに攻撃を仕掛けてくるのが、あの魅力的なおじさんであるランバ・ラルが率いる部隊です。
ここで非常にうまいと思うのが、ランバ・ラル部隊がただの悪役ではなく、あくまでホワイトベースの状況と対照的な相手として描写されている点です。
つまり、人間関係が滅茶苦茶なホワイトベースと違って、カリスマ的であり、部下からも信頼が厚いランバ・ラルに率いられた部隊は、結束力が堅く、人間関係も良好であり、自分も部下ならこういう職場で働きたいと思わず考えてしまうような環境なのです。
正義であるはずのホワイトベースでは、劣悪な人間関係にあり、一方で悪役であるはずのランバ・ラル部隊では、信頼と絆がある。この逆転の描き方が、テーマをより深堀させています。
そうです。ようするにランバ・ラルは「いい大人」「カッコいい大人」としてのモデルケースとして絶妙なタイミングで出てくるんですね。
人間関係が未熟なホワイトベース体と違って、人が人としてみんなでうまくやっていくっていうことはこういうことなんだという強さと寛容さと信念を彼は体現して見せてくれるのです。しかもそんな彼だからこそ、部下に愛される。ハモンさんにも愛される。ラル亡きあとの彼らの弔い合戦ぶりを見るだけで、ラルがいかに人として魅力のある人物であるのかを物語っていますね。

結局、ホワイトベースは、ランバ・ラル部隊を退けますが、ここで重大な人を失います。そう、どうにかみんなを繋いでいたあのリュウ・ホセイです。
今度は絶妙なタイミングで、絶妙な人を失わせますね。
当然、みんなの気持ちを繋ぎとめていたリュウの死によって、ギリギリのところで保っていた人間関係がさらに壊れて行きます。
ブライト艦長は心労で倒れ、代役のミライさんはマニュアル人間となり、セイラさんは勝手に動き出す。そこにあるのは、不満であり、疑心暗鬼であり、負の感情ばかりです。
リアルですね。バランスを取っていた人間がいなくなることで、矛盾が露呈して、さらに関係が悪化していく。どこの職場でも見るような光景ですね。似たような経験をした人はいっぱいいると思います。そんな状況の中で、その様子をテレビで観ている人たちは無意識に感じます。ああ、この人たちのボスがランバ・ラルであったらと。ていうか、自分たちの職場のボスがランバ・ラルだったらどんなにいいかと。

しかし実際にラルはいません。一方でその憧れの感情だけは強く残ります。
ホワイトベースの面々にしてみても、アムロやセイラを中心に薄らとラルが魅力的な上司であったことはわかっていますが、そんな想像をしている暇もありません。ていうかラルを殺したのはそもそも彼ら自身であるし、どんなに魅力的であったとしてもラルは敵に過ぎないのです。
上司は若い上に倒れた。みんなはそれぞれ勝手にやっている。そんな状況に置かれた人たちがまず何を考えるか。それは、上への不満です。
そもそもホワイトベースの人間関係が悪くなっているのは、地球連邦軍がキチンとした人員や物資の補給をせず、援軍をも送らないからです。若い自分たちが懸命にやっているというのに、偉いおじさんたちは一体何をやっているのかと怒りたくもなります。これまたリアルな話ですね。困った彼らはそこで必死に補給をしてくれと頼みます。さすがに、偉い人たちも補給部隊を向かわせますが、それを指揮しているのがマチルダ・アジャン中尉です。以前、会った時にアムロが憧れた年上の女性ですね。
しかしマチルダ部隊は、黒い三連星に襲われ、アムロたちが救出に向かうも、マチルダさんもホワイトベースを守るために戦死。

リュウさんに、マチルダさん、と続けて失い、ホワイトベースのクルーたちは自分たちの未熟さに打ちのめされます。
ここで、ようやく寄せ集めに過ぎなかった若者たちが自立をし始めるのですが、ここに至るまでのこの時点で、絶対悪も絶対正義もない中で、彼らは彼らなりに自分たちと向き合い、大人になって行くんですね。大人になることが決していいことではない。実際、自分たちの見てきた大人の大抵は矛盾していて、ずるくて、人を支配したがるような人間ばかりだということはわかっているのに、です。
ランバ・ラルとのエピソードから来て、この流れは物語として見事です。
最初に未熟だけど、未熟なだけで自分たちが何者かもわからない集団としてホワイトベース隊を描き、それとは対照的な集団としてうまくやっているランバラル隊の登場。
そして、大事な仲間を失ってさらに集団として崩れていく中で、じゃあどうすればと主人公たちに考えさせる。
見ての通り、物語上、途中で入っているランバ・ラルが効いているんですよね。すごく。
そして、それはホワイトベース隊の面々だけでなく、その物語をずっと追ってきた人間にとっても、ラルのインパクトが無意識のうちに勝手に高められていくことになります。実際にラルが登場していた話は数話しかないのですが、この物語の流れにあり、さらにその位置づけによって、その存在感が上がっていくんですよね。そしてそうやって無意識化に肥大した存在感はずっと観ている人の心に残っていくのです。ラル、カッコイイと。

ホワイトベース隊は、ここから彼らは彼らなりに不器用ながらも対話をとって行き、ぶつかり合いながらも仲間となっていきます。そうして物語後半のカタルシスに向かっていくわけですが、「人と人とが分かり合う」というテーマに対する伏線は、このラルを取り巻くエピソードの時点ですでにこれでもかというほどちりばめられているわけですね。