「宇宙へ」
著 メアリ・ロビネット・コワル
冒頭を読んでこういう感じで物語が進んでいくんだろうな、という予想と、実際に進んだ物語の内容が全然違っていたのでかなり驚きました。
小惑星がワシントンD.C.に落下するところから始まるんですけれど、完全にパニック小説の一種で、人が住めなくなるであろう地球からいかに人々が脱出するのかというスケールの大きな話だと思ったんですね。ですが、読んでいてびっくりしました。人が住めなくなるから宇宙に脱出するという話は予想通りだったのですが、話が主人公であるエルマが女性としていかに宇宙飛行士になっていくかということに絞られていくんですね。
つまりいわゆる歴史改変小説というやつで、冒頭の小惑星の落下は歴史を改変するための装置に過ぎなかったんです。
人が宇宙や月に出て行くのが実際の歴史よりも早まるのですが、まずはその描写の細やかさに驚かされます。
この作者の取材力はスゴイですね。当時の宇宙開発の様相を非常に細かくリアルに描かれているんです。
そしてさらに驚かされるのがこのSF小説のテーマ。話を読み進めていくとわかるのですが、この小説、SFの体をなしていながらジェンダーをテーマにしているんですよね。
ここで主人公であるエルマのキャラ設定が生きてきます。
ユダヤ人であり、第二次世界大戦中に女性パイロットとして活躍した過去。
物理学者として、天才的な数字のスペシャリスト。
しかしあまりに才女だったゆえに、男子に妬まれて、その挙句にたくさんの人前に出ると嘔吐をしてしまうという症状持ち。
そんな彼女が夢である宇宙飛行士になるべく奮闘しますが、そんな彼女の前に露骨な女性差別が立ちはだかります。
この差別の仕方がすごいリアリティがあるんですよね。
確かにこの時代のアメリカ、ていうか女性差別は今もありますし、日本でもすごいですからね。
そして、この小説の凄いところは、単にジェンダーをジェンダーの問題だけと捉えずにもっと広い支配の問題として捉えていること。
女性差別に跳ね返されるエルマが、実は白人として優遇される場面がある、つまり差別されていた側が簡単に差別する側になりうるのだということを物語の中で見事に指し示しているのです。とかくジェンダーという話になると男性が過敏に反論することが多いのですが、ジェンダーもかくある差別の中の一つであるということをほかの差別問題と連なって語ることで、如実に浮き彫りにさせていくんですね。話そのものが面白いことも確かなのですが、このテーマの扱い方の巧みさこそが、ヒューゴー賞やローカス賞などSF小説の主要賞を総なめにした大きな理由なのだと思います。
ただとても有意義な小説だとは思ったのですが個人的には何点か違和感を覚えたところもありました。
一番はエルマの夫であるナサニエルの性格描写が男性として、また夫として理想的すぎるほど完璧であるという点。
女性差別と戦うエルマに対し、完全無欠な味方が必要だという作者の気持ちはわかります。ただナサニエルも今のリベラリストではなく50年代の人間であり、しかも宇宙開発の重要なポストを担うエンジニアです。彼の立場や男性同僚との関係を考えても、彼自身がエルマの主張のすべてを簡単に受け入れたとは考えにくく、エルマが宇宙飛行士になることについて、物理的な身を案じる以上に彼なりの葛藤があったはずだと思うんですよね。エルマの心情を丁寧に描いている分、ナサニエルの不満や嫉妬などの人間臭さも描いてほしかったなと思います。
あとあれほど立ちはだかっていた女性差別がクレマンスの動向一つで簡単に変わってしまうことにも多少の違和感を覚えました。
女性への偏見があるパーカーとの対立は目を見張るものがありましたし、ベティとの女性同士の闘いもリアリティがあって見ものでした。でも結果的にエルマの運命を握っているのはクレマンスなんですよね。
クレマンスもこの時代の男性とあって、パーカーとまではいかなくともある程度女性への偏見は持っています。
そのクレマンスの心変わりがなぜなのかがイマイチ分からないんですよね。
折角小惑星を落としたのだから、それを歴史改変だけのキッカケにするのではなく、小惑星が落ちたことによって宇宙開発の流れが速まっただけでなく、ジャンダーなどに関する人の気持ちや意識も変わっていたという風に何らかの形で表現してもらえたらよかったのかなと思います。
クレマンスもその流れにあって、単に民衆の意識の変化に流されたのではなく、クレマンス自身も意識を変化させざるを得ないようなエピソードがあった方が納得が出来たのかなって。女性が差別を打ち破るという話は、男性が変わるという話でもありますからね。出来れば、そこまで見せてほしかったです。
でも何にせよ、SF小説に社会問題を絡ませたものは少ないので、こういうものをみるとホッとします。
個人的には歴史も好きなので、SFと歴史が組み合わさった歴史改変モノは読んでいて楽しいです。
結局、小惑星の問題がどうなったのかがこの小説だけでは分からないのですが、それは続編ということなんですね。焦らしますね。まだ日本語に翻訳されていないようですが、刊行が楽しみです。
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