なぜ大人になると友だちが作りづらくなるのか。

「友達がいない自分」選んでない?スピードワゴン・小沢さんの人生論

微妙に考えてしまった対談でした。
人好きと思われがちだけれど超孤独好きなスピードワゴンの小沢さんと、人と距離を置いてそうで人が好きなコラムニストのウイさんの対談なんですけれども、自分も含めて大人になると友だちを作るのって難しいなと思ってしまいました。

記事の表題になっている「友だちがいない自分を選んでない?」という小沢さんの言葉がすべてを物語っているのですが、確かに友だちがいないと思っている人の大半は「友だちがらいない自分」を間違いなく選んでしまっているんてますよね。
そして小沢さんのように何の気なしに人との距離を詰められる人を心のどこかで羨ましく思っていたりします。でも記事中に小沢さんが言っているようにその違いは実は大した違いじゃなく、ちょっとした自分の意識の持ち方や行動を踏み出す勇気で劇的に変わる可能性が十分にある程度の違いに過ぎないんですよね。

でも「友だちがいない」と思っている人の大半はその一歩が踏み出せない。
小学生くらいまでは何の気なしに出来てきたことが、歳をとるにつれてどんどんと難しくなってきているようなら気がします。
たぶんそれは半分は性格的なものがさようしているでしょう。最初から人付き合いが天才的にうまい人、人との距離を絶妙にとり、歳をとってもたくさんの友だちに囲まれている人はいます。うらやましいけれど、とても真似ができないタイプです。
ただ半分は確かに性格という逃れられない運命によって作用されたものかもしれないけれど、もう半分は違うと思います。
たぶん、それは社会的な理由と結果的にそれに流された方が楽だと思い込んでいる自己憐憫の気持ちではないでしょうか。

社会的な理由とは、会社組織に取り込まれてしまうことで、仕事に追われ、生活がクローズドになってしまうことが最大の要因ですね。
その上で人によって経済格差が広がり、またライフステージの進度の違いが出てきてしまいます。そうなってくるとまず仕事に家庭にと、毎日が忙し過ぎてそもそも友だちと会う時間が限られます。養う家族がいれば、金銭的にも厳しくなってしまうし、肉体的にもキツくなってきます。
ただそれらのことは、その気になればある程度は乗り越えられる範囲の話とはいえます。
ようはその気があればどうにかなる話であるのです。

でも「友だちがいない」と思っている人はそれをしない。
その理由は、つまるところ自分に自信がないからじゃないでしょうか。小学校の最初の頃までは、私たちはみな誰もが同じフィールドに立っています。でも、年齢が進み、社会生活が広がっていく中で、私たちは世間の評価に振り分けられていき、自分自身もその殻にスッポリと収まってしまいます。
そしてその殻が他人の目から価値がないように扱われれば扱われるほど、自分よりも価値がありそうな殻に近づくことを恐れるようになり、いつの間にか自分までもが人を人として見ているのではなく、人が纏っている殻でもって人を見てしまうようになってしまうのです。
そうなってしまうと、もはや自分自身を自分の殻で持って自己評価を下してしまい、殻でもって他人と比較することを恐れるあまり、ほかの殻に近づきたくなくなってしまうんですよね。
そして、それに対して、忙しいからとか、別に一人で楽しいからと格好がつく言い方で自分自身をも説得してしまっているんです。

小沢さんはそんな殻なんて脱いでしまえよって言っているんですね。
会社人間ではないからこそ、そんな殻を纏っているからこそ友だちが出来ないこと、そしてその殻を進んで纏っているのは紛れもなく自分であるということが感覚的によくわかっているんだと思います。

まあ、だからと言って明日から殻を脱ぎ捨てるというのは難しいですね。何十年もそうした殻の中で生きることに慣れ切ってしまってますし、自分自身への言い訳も年々上手くなってきていますからね。でもすぐに殻を脱ぎ捨てることは出来なくても、せめて殻をにヒビを入れてちょっとぐらいは割ってみたいです。
そして、そこから新しい景色が見られれば、もしかしたら少しは違った自分になれるかもしれませんね。