議員やじ、感染リスクは? スポーツ、ライブは大声自粛―「議会の華」も専門家苦言
もはや見慣れた光景ですが、これだけ新型コロナウイルスの対策をするべきだと社会的に言われる中で、国会では与野党ともに野次が飛び交っています。
スポーツ観戦やライブ会場では飛沫感染のリスクから声援が規制されるというのに、正直何をしているのだろうという印象です。
専門家は「国会でも感染リスクを減らす努力を」と苦言を呈しているようですが、衆院本会議では採決時を除き出席議員を減らす措置を取っているものの、野次などの大声については両院とも制限を設けていないのが現状だそうです。
それにしてもコロナの前からずっと思っていたのですが、野次は「議会の華」などとそれらしい言い訳が言われていますが、国会に野次は本当に必要なのでしょうか?
そもそも国会とはみんなで話し合うための場所です。それなのに喋っている人間を大声で打ち消してい時点で議会を冒涜していますし、属性が多数派であればあるほど野次ることで議会で優位に立つというのは、民主主義の理念からも大きく外れています。
第一、この野次の語源は、群集心理の代名詞ともいえる野次馬で、野次とはこれが短縮されてできた言葉です。この野次馬とは、親父馬、つまり老馬のことで、いつも若い馬の尻について歩くので、時代が経つに従って人の後についてわけもなく騒ぎ立てる人々の意味に変化していったということです。
ようするに親父馬(オヤジうま)のオが省略されて「ヤジ馬」になったというわけなんですが、言葉の意味から考えたところでも、野次はなんの意味もなく、ただ騒ぎ立てられている言葉であるということがわかりますね。
まあ、誤解を恐れず平たく言えば野次とは、下品な言葉遣いに他ならないガヤであることは確かだと思います。そしてその下品なガヤをみんなの代表である議員が恥ずかしげもなくしているわけです。ガヤをしてばかりで何千万もの収入が血税から支払われる人がいると思うと、ちょっとガッカリしてしまいますね。
何度も言いますが、議会とはみんなのことを決める話し合う場であり、神聖な場です。しかしそうした場で政治家たちは、「議会の華」という言葉の免罪符を持って野次をし続けている。思わず発したやじが「不適切である」として、懲戒や謝罪に追い込まれた例は後を絶たないにも関わらず……。
政治家の皆さん、もういい加減いい年して野次を飛ばすことであたかも政治をしているようなフリをするのはやめて下さい。正直みっともないし、全然カッコよくもないです。与野党ともに党利党略ばかりが目について、腹立たしくも感じます。
数の論理で押し切ったり、強い言葉尻で威圧するような雑な民主主義はやめましょう。主義主張で相手を黙らせるのではなく、様々なことを話し合うことで折り合いをつけ、何が国民にとってためになるのかを考えることがあなたたちの仕事なのです。
もしもそれが考えられないとしたら、そもそもその仕事に向いていないとしか言いようがありません。
すでに最初から決まりきった答弁をお互いに繰り返すのではなく、建設的な意見をお互いに検討し合うことを切に願います。