自民党二階幹事長の権勢を見て考える議員の定年制導入

新型コロナウイルスの感染拡大によって影でGOTOを続けさせてきた自民党二階幹事長に批判が集まっています。さらに菅総理と二階幹事長を中心とした8人での会食が話題になり、しかも菅首相を呼び出したのが二階幹事長ということで、図らずも二階幹事長の権勢が浮き彫りになった格好になっています。

なぜ二階幹事長にここまでの権力があるのか。

それは田中角栄以来の金と数の論理で二階幹事長が自民党内で力を得てきたからに他なりません。ようするに選挙で大票田となる各業界団体に対して強い影響力を持つことでのし上がっていったんですね。そう考えると、たとえ二階幹事長が居なくなったなったとしても、その空いた席に違う誰かが座り、またキングメーカーになるだけで政治のやり方そのものは何も変わらないんです。
民主主義の悪い部分を突かれていますからね。そもそも国民の投票率が上がり、一人ひとりがしっかりと考えて投票するようにならないと変えるのが難しいんですよね……。

じゃあ、この政治の悪癖の悪循環を断てないのか。それを絶てるにはどうすればいいんだって話になるんですけれど、個人的には、議員に定年制を設ければいいんじゃないかと思うんです。
ちょっと前に選挙権が20歳から18歳に引き下げられました。ということは制度的に被選挙権の年齢設定も変えられるということです。そして定年制を設けることで、基本的に議員を長期間居座らせない形にする。つまり若い人にどんどんと入れ替わっていくという仕組みにするんです。
そうすれば、長期的に業界団体を牛耳るということも容易に出来なくなり、誰かに権力が集中することが少なくなると思うんですよね。
そんなことは横暴だ!長年の経験を持つ人間の力はそうは言っても必要だ!
そういう反論を言う人もいるでしょう。確かにその通りです。長年の経験が必要なときは必ずあります。ただだからと言って長年の経験を持つものだけが独占して力を持つ必要など全然なく、もっといえば議員である必要もありません。オブザーバーで十分なのです。
そして長年の経験を持つ人が同じことをやり続けるよりも、経験だけを伝えて違う人が入れ替わってやっていく方が組織としては新陳代謝が起こり、健全な状態になるはずです。

この国の国会議員の被選挙権は衆議院議員で25歳以上、参議院議員で30歳以上にしかありません。それはその年齢にならなければ、議員になる能力がないとみなされているからです。でもその理屈でいうならば、歳をとって認知能力や集中力が落ちた人や、頑固で人の話を聞かなくなってしまった人も、能力的にどうなんだという話になります。若者に対しては線を引くのに、老人には線を引かないというのはあまりに公平性を欠いているのではないでしょうか。
いきなり定年制は厳しくても、少なくとも運転免許証のように認知機能が健常なのかどうか定期的に調べる必要は絶対にあると思います。そしてそこで引っ掛かった人は引退勧告を受けるべきだと思うんですよね。議員というのは老人の名誉職ではなく、国や自治体の行く末を決める大事な仕事なんですから。

どの企業でも役員にでもならない限り、たいていの場合は定年があります。
世間一般では当たり前のことなのに、なぜ議員だけが暗黙の了解のようにそこから外れているのか。そもそもその暗黙の了解とは何なのか。わたしたち国民は自分たちのこととしてはまずはそこからキチンと考えていなくちゃいけませんね。