「お前なんて森喜朗と一緒だよ―――!」 妻の怒りの言葉のパンチに鈴木おさむは?
まず最初にこの放送作家の鈴木おさむさんのコラムは面白かったです。簡単に話すと、自分は森氏側の人間じゃないと思い込んでいることを前提に、森会長の失言を「バカだなぁ」と思っていた鈴木さんでしたが、奥さんとのケンカの中で「お前なんて森喜郎と一緒だよ!」と言われて、初めて自分の立ち位置を知ってハッとして、落ち込み、そして悔い改めようと思ったという話でした。
これ、鈴木さんの巧みな筆力でうまく笑い話にされていますけど、今の日本の暗部を如実に表している話なんですよね。
森発言を見て大多数の人が森喜朗個人が悪いのだと思っていると思うんですが、そうではなく、あのような発言を当たり前のようにしてしまう人をトップにし、さらにそのトップに対して周りの人が何も言えないような縦の関係を組織に反映しているのが通常の社会構造そのものがおかしいんです。
そういう話をすると、自分は会社の偉い人間じゃないから関係ないと思う人もいるかもしれませんが、社会構造とは、会社だけのことをいうわけではなく、家族親戚であったり、学校関連であったり、友達付き合いや先輩後輩の間柄など社会に関わるすべてにおいての話なんです。
そうすると森喜朗的な人間は日本社会のそこら中にいることに気づきますし、もっと言えば、特に男性の場合は、自分自身も実は、家族や友人などに対して、森喜朗的な態度を振る舞っているなんてこともあるかもしれないという話になってきます。
鈴木さんのコラムでは、鈴木さん自身がそのことに気がつき、恥ずかしながらもそれに対して、自分自身にも森喜朗的な感覚が間違いなくあることを認め、改善しようと前向きになっています。
今問われているのは、そうした中高年の男性の変化なんですよね。森会長の一連の騒動を見て、それが森会長個人の話に止まらないことを知り、自分自身にも関係がある、多かれ少なかれ自分自身にも森喜朗的な感覚があるんだということを知るところから始めなきゃいけないんです。
その個々の中高年の男性による自覚と改善がなければ、ジェンダー平等もそうですし、今や日本社会の弊害となっている縦社会も結局はかわらないんですよね。
さて、森会長が辞任し、後任の名前に川渕三郎さんの名前が挙がりました。個人的にはちょっと期待はしていたんですけれど、川淵さんの「森さんを相談役に」発言から「ん?」と思い、そのうちに川淵さんの就任自体がなくなってしまいました。
現状で橋本聖子さんや鈴木大地さんの名前などが挙がっています。でも、ふと思ったんですが、この役職ってそもそもそんなに必要なものなんですかね。
身もふたもないことを言っているという自覚はあるのですが、どうしても森さんの失言が出た後の「政財界に睨みを利かせられるのは森さんしかいない。だから森さんに任せるしかない」という組織委員会のコメントが引っかかってしまうんです。
確かに森さんは元首相であり、政財界に睨みを利かせられる稀有な存在かもしれません。でもそもそも一人で政界や経済界、それにIOCなどと渡り合わなければいけないのでしょうか?組織委員会の中でまずは意見を集約し、それぞれに適した交渉役を決め、交渉をしたらそれを持ち帰り、また話し合う。もう新会長など決めずに、こうした極めて民主主義的なやり方をした方がいいのではないでしょうか。確かにそうしたやり方は時間がかかるかもしれません。でもみんなでやる分、大きなミスがなくなる可能性が高まりますし、様々な人から様々な意見が出ることで組織そのものが活性化して、その中からまた新たな人材が育つという効果も生まれるはずです。
どうしても顔役が必要だというのなら、それは実権を持たない象徴的な人にするべきですし、リーダーがいないとまとまらないというのなら、「オレの言うことを聞け」と凄む人ではなく、周りの人をうまく活かすことが出来る人を選ぶべきなのです。
橋本聖子さんや鈴木大地さんがそうしたリーダーかどうかはわかりません。二人とも森氏と繋がりが深い清和会のメンバーなのでどうなんだという意見もたくさんあります。ただ誰になるにしても、今国民の大多数から何が求められているのかをちゃんと理解して欲しいです。それこそが日本が変わる最初のキッカケになるかもしれないのですから。
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