体育会系のマッチョなノリが日本を亡ぼす

森オリンピック組織委員会会長による適切発言への風当たりが弱まりません。
それもそのはずで、謝罪会見では逆ギレをし、政府も組織委員会も言葉を濁して擁護し、森会長の進退問題についてはなし崩し的にこのままで、という態度が見え見えですからね。
完全に国民の怒りの火に油を注いでいます。

そしてここまで来ると、問題がジェンダーに対する不適切発言だけに留まらなくなってきていると考えるべきでしょう。
森会長の発言は、明らかに女性蔑視発言であり、責任を問われるような言動であることは間違いありません。
さらに問題なのは、その言葉を放った森会長の進退について、責任をもって追及するべき人たちが何も言えなくなっているということです。
これって、何気に今の日本社会においてそのダメさ加減を語る上で象徴的な出来事といっても過言はないんですよね。

なぜ森会長を誰も処分できないのか。
この「なぜ」に対する答えこそが、日本社会を非生産的にさせ、閉塞的な空気を醸し出している正体です。
それはハッキリ言うと、いわゆる体育会系的な、上下関係による支配の力ですね。

森会長の経歴やこれまでの政治活動を見れば、この人がいかにまわりをうまく自分のいいように巻き込むかという、その政治力でのし上がってきたことが簡単に伺われます。人を巻き込む力があるということは、一見政治家向きの能力があるという話になりますが、裏を返せば、それは昔ながらの凄みや人脈や金銭など、ありとあらゆる手段ででもって相手を意のままに操れるように手筈を整える能力の持ち主であると思います。

確かにそもそも森会長が若かりし頃は、田中角栄の全盛期であり、金でもって数を作り、それこそが政治であるという時代です。森会長も当然そうすることが正しい政治のやり方だと疑わず、かつての先輩議員を真似、それを踏襲してきたのでしょう。

でも今は残念ながら昭和は終わり、さらに平成も終って令和時代です。もはや力づくで組織をまとめることよりも、いかに多様性をうまく使って皆を活かすことが出来るのかを考えなければいけない時代になっているのです。

そうした時代にあって、森会長の昔ながらの縦の関係で支配の構図を作り上げ、それを駆使することこそが政治だというのは、世間一般の感情には通用しなくなってきているのです。もう女性も若者たちもそのやり方では一部の人の利益にしかならないことがわかっていますからね。

でもこれだけ時代の空気が変わっても、森会長はそれまでの自分の考えを述べるし、反省もしない。そればかりか彼のそうした態度を周りの誰もが止められずに黙認し、森会長の進退についてはうやむやにして時間が経つのを待とうとしている。

これは何を意味するかと言うと、ようするに世間の意識は少しずつ変わりつつあるというのに、政治の世界の人や、会社の組織の上下関係のなかにどっぷりと浸っている人たちは、森会長と同じような思考から抜け出ていない、いやダメだということはわかっていても、結局は組織の中に未だに蔓延る縦の論理にたいして何も言えないのです。

「女性の話が長い」

これはわかりやすく言えば、女のくせにグタグタ言うなという意味です。さらに明らかな不適切発言をしてもほとんど誰もが森会長に辞任を迫れないということは、女性だけでなく、男性も縦のヒエラルキーによって身動きが取れなくなっていることを意味しています。

ジェンダーの話をすると、男性は本能的に感情を害して反論したがりますが、問題を男女の対立に押し留めるこの行為は間違えています。それは誤解を恐れずに言えば、ジェンダーも年功序列も政治と金の世界も基本的には根は同じで、誰かが不当に誰かを支配し、不当な権益を手に入れている話だからで、問題はそうしたヒエラルキーを作ることで、利している人間がいるというやり方自体なのです。

今回の森会長の不適切発言から会長職続投の話に関しては、女性のみならず多くの男性も不快に思っていると思います。それは、そうした男性たちの多くも、建前で会社などで縦のヒエラルキーに従うことを是としながらも、本音ではそうした不可解な序列に対して頭に来ているからです。

縦のヒエラルキーは、日本古来ずっとありました。それが明治から戦争に負けるまでの間に徴兵制を使って社会の中で当たり前のこととされ、戦後も体育会系の部活や会社組織のあり方を使って脈々と受け継がれています。

でも、その縦のヒエラルキーがもはや機能不全に陥っているのは、バブルが弾けてからの日本の低迷を見れば一目瞭然です。生産性が低いのも、IT化が立ち遅れたのも、有能な女性や若者に適切な裁量や立場を与えてこず、中高年の男性ばかりが実権を握って離さなかったからにほかならず、むしろ逆に氷河期世代を作ってその芽を摘んできたのです。

森会長の辞任の話が出た際に、オリンピック組織委員会は、「余人に代えがたい」という理由で森会長を慰留したそうです。

本当に森会長は余人に代えがたい人なのでしょうか?

仕事というは、誰が後任に来てもその人が問題なく引き継げるように様々なことを整えておく必要があります。本当に仕事が出来る人とは、自分が仕事をこなすだけでなく、他の人がやりやすいように目を配り、次の人材を育てられる人です。「余人に代えがたい」と言いますが、組織委員会が立ち上がってから7年も過ぎているのに、そもそもなぜ80歳をとっくに越えた人に対して、代えのきかない状況のままにしておいたのでしょう。もしもの場合に備えて後継者を育てていなかったのは、森会長の怠慢であるか、もしくは森会長が自身の価値を保つためにおいしいところも含めてほかの人に手出しをさせてこなかったからに他ならないのではないでしょうか?

もういい加減に化石のような縦のヒエラルキーで人を支配するのはやめませんか?そのやり方では一部のエリートや押し出しの強い人、それに従順に従う人だけが豊かになるに過ぎません。老若男女、誰でもが自由に意見が言えて、みんなで社会のことを考える。そうした過程を経て初めて社会そのものが豊かになるのです。オリンピック憲章では、オリンピックの目的を「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」と示しています。
オリンピックを開催するということは、その目的に賛同しているということであり、またそのことを世界に証明してみせるということです。縦のヒエラルキーで雁字搦めになっている社会が本当にオリンピックを開催するにふさわしいのか、もう一度みんなで考えてみる必要がありますね。