「文化人類学の思考法」
編 松村圭一郎、中川理、石井美保
文化人類学という学問を知っているでしょうか?
たぶん多くの人にとっては、どこかで聞いたことがあるかもしれないけど、具体的に説明するのはちょっと難しいと感じる学問でしょう。
その名の通り、文化人類学とは、人類の文化の在り方を学ぶ学問です。
これが深く知っていけばいくほど面白いのですが、特徴的なのはその独特の思考法と言えると思います。
この本は、そんな文化人類学の独特な思考法を様々な切り口から紹介してくれます。言わば文化人類学の教科書のような本ですね。
では、その文化人類学の独特な思考法とは何だ?っていう話になると思いますが、ひと言で言えば、「疑問を持つ」といったところでしょうか。
わたしたちは生まれて物心ついたときには、すでに社会の中にいます。
そして当然その社会の中で育てば、その社会で当たり前とされる文化を享受し、何の疑いもなくその文化を継承していきます。
文化人類学とは、その当たり前に対して疑問を投げかけていく学問なんですね。
具体的によく行われているのは、途上国などでのフィールドワークです。
まだ工業化されていない国の人々は、先進国に住む人たちのように文化的に画一化される前の状態にあることが多く、土着の風習や信仰などが根強く残っていることが多いです。
文化人類学者はこうしたものを丹念に拾い上げます。
そこまでなら民族学などと変わらないのですが、文化人類学ではさらにそれをフィードバックして、わたしたちの文化と照らし合わせるんですね。
その過程の中で、なまじ迷信のように思われていた研究対象国の文化に意味があることを見出して行ったり、逆にこれらの文化と比べることで、現代において、当たり前とされているわたしたちの行為そのものについて新たな側面を見出していくのです。
重要なのは、わたしたちに染み付いた常識でもって研究対象国の文化を解釈しないという点ですね。
どうしてもわたしたちは西洋文化からの視点で物事を考え、ジャッジしがちなのですが、このフィルターをあえて外して研究対象国を調べていくと、人間とは生きている場所によってそれぞれ実に様々なアプローチをして自分たちなりの生活を営んでいることがわかります。
そうやってほかの文化を頼りにそれまでとは違った見方をしていくと、わたしたちが当たり前だと思っている政治や経済、家族や社会などがたまたま選ばれたものであることに気がついていきますし、それは絶対ではなく、考えようによってはいかようにも変えられるのだということにも気がついていくんですね。
わたしたちの社会はどうしても一部のエリートが社会を築き、社会の視点はエリートの視点で語られ、その文脈もエリートによって形作れています。
これまでは何の疑いもなくそのことを受け入れてきましたが、過度な経済格差と社会分断が進むにつれて、世界は何となくおかしいこととこのままではまずことに気がつき始めています。
ただ如何せんこれまでのやり方がわたしたちの多くに染みつき過ぎてしまっていて、何かがおかしいことに気がついても、じゃあどうすればいいんだということがなかなかわからないし、闇雲に動くことも出来ません。
でも、そんな時代を生きるわたしたちにとって、文化人類学的な思考は、わたしたちに思いもよらないヒントを与えてくれる可能性があります。
まずは当たり前だと思っていることを疑ってみること。
文化人類学はそのことを教えてくれます。
少し違った角度から世の中を見つめ直したいと思っている人に打ってつけの学問ですね。
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