もしも会社に出世が出来ない煉獄さんがいたら…

悲しい現実「目立つ奴ほど昇進する」の深い意味「自己アピール上手の実力者」が山ほどいる世界

これは反論しておかなければいけないと思った記事でした。
記事のあらましは、一言で言えば組織の中で出世をするためには、目立つ行為をしなくてはいけない。つまりは、目立つという行為そのものを肯定的に捉えるべきだという話です。
引き合いに出されているのは、この記事を書いた方の先輩にあたるというソフト煉獄さん(「鬼滅の刃」に出て来る煉獄さんのように仕事が出来、部下にも慕われる人格者であるが、目立つということが出来ずに出世が出来ない方だそうです)という人です。
若い時に、この記事を書いた方は、人格者であるソフト煉獄さんが出世出来ないことに対して、会社に対して不満を感じていたそうですが、自分が年を取ってコンサルタント業をしていくうちに、組織の中で出世をするためには、目立つという能力も必要なんだと感じていくようになったそうです。
その理由として、この記事を書いた方は、潰れていく老舗の酒造メーカーを例に挙げてます。

つまり、潰れていく老舗の酒造メーカーは、味が悪いわけでは決してない。
なのに、潰れざるを得ないのは、消費者に対して目立つような営業活動をしてこなかったことが原因。
そして、それはそうした会社の話だけではなく、個人の話にも当てはまるはず。
個人が目立とうとするのは、悪く捉えられる風潮があるが、それは間違いで個人も目立つ努力をしなくてはいけない。

と、こんな感じで理屈を述べています。
色々とツッコミどころがあるのですが、まずこの記事を書いている方の論理でそもそも破綻していると思うのは、会社という法人と会社に雇われている個人の話を同じレベルでゴッチャに考えている点です。
会社が営業努力をしなければいけないのは当たり前の話です。
それはどんなに味の美味しいお酒を造ろうと、それを買う人を見つけなければ、そもそもマーケティングが成り立たず、商売にならないからです。
それに比べて、組織の個人が組織の中が目立つという話はまるで違う話です。
組織の中の仕事には、目立つ仕事も目立たなくても大事な仕事があります。
またその人に向いている、向いていないという適性もあります。
組織というものは、そうした個人の能力をきちんと把握し、それぞれがうまく力を発揮して初めてちゃんと回るものです。
ソフト煉獄さんが出世できなかったのは、ソフト煉獄さんだけの責任ではありません。
一番の問題は、その上司がソフト煉獄さんの良い部分が分からず、目立つことばかりをやっている人ばかりに目がいってしまっている点です。
一言で言えば、上司がソフト煉獄さんの良さを見抜けなかったんです。

日本社会の一番の問題は、お金を稼ぐという能力をほかの能力よりも何よりも高く評価しすぎているという点です。特に人を育てるということに対して、非常に意識が低い。往々にして縦社会であるから、上からの言うことを聞いていればいいというスタンスなのです。そしてその仕組みの中で、目立った人間が出世する。さらにそうした人間が上に立つから、そうした組織作りが繰り返されるのです。その結果、人材育成などはまるでそれぞれの慈善活動のように扱われ、そんなことをしている人間こそ損をしているという風潮が生まれているんですね。

ソフト煉獄さんに人望があり、人を育てる力があるなら、それはお金を稼ぐということと同じくらい大事な能力であり、組織にとっての宝です。組織はその宝の価値を知った上で、その力が遺憾なく発揮出来る場所にソフト煉獄さんを配置するべきです。そしてソフト煉獄さんにそれ以上の力を求め、地位を与えようと思うならば、それはそれとしてソフト煉獄さんに何が足りないのかをしっかりと説明し、それが出来るようにするにはどうしたらいいのかをよく話し合ってサポートをするべきなのです。

そしてそれは、ソフト煉獄さんと対極にあるような立場の人にも同じことが言えます。つまり地味な仕事が苦手でも、目立つ仕事が得意な人がいたとしたら、その人にはまず目立つ仕事でその力が発揮出来るような場所に配置する。そしてソフト煉獄さんと同じように、その人にさらなる力を求め、地位を与えようと思うのなら、その人に何が足りないのかをしっかりと説明し、それが出来るようにするにはどうしたらいいのかをよく話し合ってサポートをするべきです。

そうやって部下の特性を理解し、部下がやりやすいように、またその能力を引き上げられるようにうまく促すのがマネジメントの正しい在り方であり、上に立つ人間がするべき仕事です。

そしてそうやって育てられた上で、人は目立つ仕事も地味な仕事も分け隔てなく評価が出来るようになって初めて組織の中核的な人間になっていく。組織を持続的に繁栄させていくにはこうした人の入れ替わりこそが必要なんですね。

自分が目立つことを優先的に考える人間ばかりが組織の中枢にいればその組織はどうなるか、それは考えなくてもわかることだと思います。

上からの覚えがめでたく、悪目立ちする人間ばかりが評価される。年功序列で自動的に地位が上がる。男だからという理由で引き上げられる。そうしたことが当たり前のこととしてまかり通っているような組織こそ未来はありません。

「鬼滅の刃」の映画がなぜあれほどみんなの心を掴んだのか。その理由の一つは、間違いなく後輩のために命を張るような煉獄さん的人物に実社会ではほとんど出会えないからです。出会えないから憧れる。そして、映画を観た人が社会人であるならば、煉獄さん的人物が組織の中ではうまく出世出来ないこともうっすらとわかっている。わかってしまうからこそ、頑張れと応援したくなり、せめて自分くらいはと、炭治郎じゃありませんが評価したくなっていくんですね。

稼いで目立つ人が決して悪いと言っているのではありません。ただ煉獄さん的人物がきちんと評価されるような組織が増えてほしいでし、そうした組織こそが栄えるような社会であってほしいですね。

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