民主党バイデン候補勝利 アメリカ大統領選挙に感じる二大政党制の限界

ようやく民主党バイデン候補の勝利をアメリカのメディアが報じ始めましたね。
ただトランプも郵便投票の集計に問題があると法廷闘争を行うと断言しているので、まだまだアメリカの社会分断は続きそうです。
熱烈なトランプ支持者が血生臭い暴動を起こさなければいいのですが。

しかし今回の大統領選を見て、思ったのが二大政党制が本当にいいシステムなのかということ。
十年くらい前まではね、個人的にはちょっと憧れていたんです。二大政党制。
強くて大きな政党が二つあれば、いつでも政権交代の準備がされているので、政権についている側の政党はおかしなことが出来ないと思っていたんですよね。
日本みたいに自民党だけが強くて、不祥事ばっかり起こすよりはいいかと。
でも、経済格差が広がって、右翼ポピュリズムが叫ばれるようになってから、だんだんと雲行きが怪しくなってきました。
一番の問題は、共和党そのものが変わってしまったこと。
民主党に先行されて、焦った共和党は、極端な保守論を主張する人たちの票を確保しようと彼らの言葉に耳を傾けるようになりました。
そもそも泡沫候補に過ぎなかった2016年のトランプ候補が自らが共和党の中で勝ち抜くために、なりふり構わない言動を起こしたおかげでこの傾向に拍車がかかりました。
そして、トランプ氏が大統領になってからは、少数の人しか言っていない極端な保守論があたかも世論を二分する話のように語られるようになってしまいました。
少数の人の意見を聞くべきではないと言っているのではありません。
ただ少数の意見をあたかもみんなが言っているような世論形成の在り方が問題だと思うのです。
そして、この点が二大政党制の弱点です。
どちらかが片方が極端な意見を持ち出して主張してしまえば、あたかもそれがみんなが言っているという感覚になってしまいます。
その上で、対立する意見は、もう片方の政党の意見しかありませんから、どうしても「極端な意見VSそうじゃない意見」という構図になってしまうのです。
そして、この構図がメディアに取り挙げられるほど、社会の分断が広がり深まってしまうのです。
いわゆるディベートと呼ばれるものが、勝つか負けるかだけを決めるだけのもので、決して双方の意見をすり合わせるものではないという構図に似ていますね。
こうした構図の結果は、勝ったものが、負けたものを黙らせるという状況しか生まないんですよね。

1対1の意見のぶつかり合いを演出することで、極端な意見があたかも世論の多くの人が言っているみたいな状況は、今、世界中の至る所で作られています。
それが今や右翼ポピュリズムの一つの手法になっているからです。
日本でもそうです。
ほんの十年、二十年ほど前までは少数の偏った人の意見でしかなかった歴史修正主義がどんどんと当たり前の意見として世の中に蔓延していったことを考えればわかります。
彼らは偏った意見を声高に叫ぶことで、それに異議を唱える人と二項対立で言い合うという状況をたくさん作り出してきました。
そうした状況を作り出すことで、それが少数の人の意見ではなく、もはや国民の半分の人が言っている意見なのだという構図をわざと作り出していきました。
もちろんそうしたやり方に異議を唱える人が出てきます。
でも、異議を唱える人が極端な意見を言う人に激しく攻撃すればするほど、その構図はどんどんと1対1の構図にハマっていき、極端な意見を言う人の思う壺になっていったのです。

意見はたくさんあるっていうこと、考え方も多様だということをわたしたちは学ばなければなりません。
一つの極端な意見が、ほかの意見を黙らせようとする。そうやって、民主主義が壊れていくということをわたしたちは知らなければなりません。

一党独裁や、二大政党制では、国民が選択出来る意見の幅が少なすぎます。
たくさんの色んなことを言う政党があって、国民がそこから自分の意見とあった政党を選ぶことが出来る。
たくさんの政党も、自分の意見ばかりを主張することで党利党略に陥るのではなく、何が国民のためになるのかをお互いに話し合う。
時間がかかります。面倒もかかります。でも、民主主義とはそもそもそういうものなのです。
クリック一つで決められるものではないのです。

一票で世界を変えることは出来ません。
でも、一票を投じることで世界は変わるかもしれません。
大事なのは、あなたが何も考えずに誰かの意見に乗っかるのではなく、あなた自身がよく考えて、そのうえで自分と意見が合う人に投票すること。
そして、自分と意見が異なる人と喧嘩をせずに話し合うことです。

アメリカの大統領選挙は、日本人にとっても他人ごとではありませんでした。
この選挙が、民主主義についてもっと考えてみる、いい機会になればいいと思います。