「ブルドゥー『ディスタンクシオン』講義」
著 石井 洋二郎
フランスの社会学者のブルデューの著書として有名な「ディスタンクシオン」の解説本ですね。
ディスタンクシオンを理解する上で、肝となる概念がハビトゥスです。
ハビトゥスとは人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向のことをいいます。
つまり、生まれ育った環境の中で、自らが意識することなく自らが考え行動してしまっている傾向ですね。
そしてそれぞれがそれぞれのハビトゥスに沿って動いた結果によって社会が出来上がってしまっているというのが、ブルドューが言っていることであり、「ディスタンクシオン」では統計的そのことを証明して見せているんですね。
色々と批判もする人もいるようなのですが、でもこうして中身を解説に従って読んでいくと、個人的には確かにもっともな話だなと思いました。
わたしたちは大抵、格差と言われれば、どうしても経済的なことばかりを最初に思い浮かべてしまいますが、実際生まれた環境によって育まれた感覚に無意識のように従い、その結果きがつけば、社会の階層の中に組み込まれています。
より高度な教育を受けることによって社会の上部に留まれることを知っている親は、子どもに対して出来る限りの教育や教養を与えようとするでしょうし、教育の大事さに実感を得ていない人は、事実としてそこまで子どもに教育が必要だとは感じないことが多いでしょう。
そう考えると、学位や職業上の地位は、結果論に過ぎず、今目の前にある社会はおろか自分自身の感覚までもが生まれた環境によってある程度組み込まれた話だというのは怖い話です。
人間は誰だって、自分の意志で好みや趣味を選んだと思いがちなのですが、実際は違っていて、その事実に気づいたとしても、なかなか自分は変えられないんですよね。
何となく感覚的には分かっている話でも、こうして統計的に証明されてしまうとぐぅの根もなくなってしまいます。
ただ正直、人によっては厳しく感じる話でもあると思いますが、社会学を勉強しているだけじゃなく、これは世にもっと知られるべき話であるとは思いますね。
社会的に下に置かれている人たちにとっては、怒れる話だと思いますし、上位に置かれている人にとっては、後ろめたさしか感じない話ではありますが、現実の社会というものがそういうものだと、目に見えないハビトゥスによって知らず知らずにディスタンクシオン(区別)されているものだということを認識すべきかなと思います。
まずは、それが分かった上じゃないと世の中は変わらない。
ていうか、悲しい話ですが、社会の上位にいる人が良心の呵責にいたたまれなくなって、善意を行動として表さない限りはなかなかどうにもならない社会構造になってしまっているんですよね……。