「閃光のハサウェイ」
2021/日本
まずクオリティーが高くてビックリしました。ホテルの襲撃のシーンとかアニメなのに、すごいリアリティでしたね。
原作は、ガンダム産みの親である富野由悠季さんの小説です。
30年以上前にわたしも読みましたが、若年ゆえにサッパリ感情移入が出来なかったのを覚えてます。
νガンダムに比べて、クスィーガンダムやペーネロペーのデザインもあまり好きじゃありませんでしたしね。
なので、まさか大人になってからこのような形で映像化されるとは思っていなかったのですが、今考えると、話の内容が時代に追いついていなかったのかもしれませんね。
改めて今見てみると、年月が経った今こそ映像化されるタイミングだったんだと思います。
さて、その物語の内容ですが、まずこの物語を観て理解するにあたって前提として、「逆襲のシァア」を知る必要があります。
アムロやシャアがあのとき何を思って戦ったのか、そしてハサウェイ自体、クェス・パラヤと出会いと悲劇的な別れからどんな大人になったのか。
「逆襲のシャア」をみた人の大半は、正直ハサウェイについてあまりいい印象を抱いていないと思います。
特に映画では、感情余ってアムロの恋人のチェーンを殺してしまっていますからね。
なので、観客目線からは、主人公であるハサウェイにマイナスの感情を持たれることからこの話は初めなきゃいけないんですが、この話のすごいところは、観客に媚びるのではなく、開き直った上で、ハサウェイというキャラクターを描く覚悟があり、それに故に彼がテロリストの親玉であっても観ている側としては妙に納得した上で、彼がどんな何を考え、どんな選択をしていくのか見守ろうという気にいつの間にかさせられてしまうという点です。
観ている側にそう思わせるために、うまく作用しているのが明らかに本作のヒロインであるギギ・アンダルシアのキャラクター性ですね。
昔、小説版を読んだときは、何だかよくわからない悪女キャラに閉口するばかりでしたが、大人になって改めてこのキャラクターに出会ってみると、実はかなり奥深いキャラクターなんです。
表面上は、確かに80の金持ちのおじいちゃんの愛人という本人曰く薄汚い正体であるのですが、このキャラクターは、極めて自分の感情に正直であり、その正直さが観ている人(特に男性)の気持ちを妙にざわつかせるのです。
そしてそのうちに誰かに似ていると気がつきます。
そうです。クェス・パラヤですね。
ハサウェイが何度か見間違えるほど、ギギが醸し出す雰囲気はクェスに似ているんです。
ここが本作の最大のポイントですね。
クェスによってもたらされたトラウマを刺激するような形でギギと出会うことから物語が始まる。
そしてハサウェイがマフティーとして判断をしようとするたびにギギの姿がチラつくのです。
ハサウェイにとってギギが恋人という存在よりも、クェスの残像としての存在という立場の方が強いのは、ギギの設定年齢を見れば明らかです。
大人びて見えますが、ギギは実は15歳という設定なんですよね。
クェスが「逆襲のシャア」で死んだのは、13歳ですから、ほぼ同じような年です。
二十代半ばの大人となったハサウェイに、似たような雰囲気を醸し出す同じような歳の持ってくる。
この物語は、地球環境や格差問題、テロリズムをテーマにする一方で、ハサウェイがトラウマと向き合う話でもあるんですね。
クェスとギギを重ね合わせることでハサウェイの内に眠る贖罪の気持ちを明らかにさせていくんです。
そうしたハサウェイの内面が描かれていくからこそ、「逆襲のシャア」で悪かったハサウェイの印象が変わってくる。
そうなると、マフティーとして悩み発言するハサウェイの言葉にも共感出来る部分が生まれてくるんですね。
ただハサウェイは、深いトラウマがあるからこそ、テロリストの親玉としては優しすぎるし、詰めが甘い。本作は三部作のうちの一作目で、ハサウェイがクスィーガンダムに乗るまでの話になりますが、今後はそうした彼の揺れる精神性が試される展開となって行きます。
モビルスーツによる派手な戦いを描きながらも、その内実、青年の精神の脆弱さをテーマにしていくという極めて富野さんのガンダムという内容ですね。
やはりガンダムは、富野さんの原作のものが一番ガンダムらしいです。
ハサウェイの運命がどうなるのかは知っていますが、二作目、三作目があのハイクオリティの映像でどう表現されるのか、今からすごい楽しみです。