「ハンナ・アーレント」

「ハンナ・アーレント」
2012年/ドイツ・ルクセンブルク・フランス

「イェルサレムのアイヒマン」を書いた頃の思想家・ハンナ・アーレントを描いた作品ですね。

ナチスの高級将校であり、ホロコーストにおいてユダヤ人の輸送計画を実行していたアイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで、イスラエルの諜報機関であるモサドによって捕らえられたところから物語は始まります。
自身もドイツ系ユダヤ人であり、フランスで収容所に入れられた経験を持つアーレントは雑誌社に志願してイスラエルで行われるアイヒマン裁判を傍聴し、それを記事に書くことにします。
ユダヤ人たちが、皆、アイヒマンは野獣のような人間であり、死刑であることは明白だと憤っている一方で、アーレントはそもそもモサドが国外にいたアイヒマンを拉致するように連れ帰り、自分たちの国イスラエルで裁判をすること自体に問題があるのではないかと考えていました。
実際、イスラエルの人には怒りしかなく、裁判など形ばかりで、いかにアイヒマンが悪魔のような人間であるのかを世界中に喧伝することばかりを考えているのは明らかでした。
そんな中で裁判が始まります。そして傍聴席にいたアーレントは、裁判にかけられるアイヒマンを見ているうちに気がついていきます。
アイヒマンは、多くのユダヤ人が思っているような野獣や悪魔などではなく、ただの官僚主義的な凡人にすぎないのだと。彼にとって大事なのは、組織からの命令を遂行することだけで、ホロコーストに加担をしていても、良心の呵責すらなかったということを。
有名な「凡庸な悪」こそが一番の悪だという話ですね。
つまり、組織に組み込まれて、命令だけにしたがっていうちに、人は考えなくなってしまい、考えなくなってしまった人間は、虐殺など誰が見ても悪いことに自分が加担しても、命令を遂行して組織の中で出世する、あるいは生き延びることしかかんがえていないので、心の痛みを共わなくなってしまうということです。
そして、その凡庸の悪は、アイヒマン特有のものではなく、誰もがその危険に陥ること可能性があるということ。
アーレントは、ホロコーストにおいて、ユダヤ人の指導者たちも同じだったと論じます。
しかし、アーレントがこのことを口に出したことで、彼女はひどい誹謗中傷を受けるようになってしまい、友人たちすら去って行ってしまうんですね。

以上が、この物語の大まかな粗筋ですが、見終わった後ですぐに思ったのは、よくこれを映画化出来たな、ということ。
倫理的に、とか技術的にとかではなく、話が高尚であり、映画としては話が地味すぎると思ったからです。
個人的には「イェルサレムのアイヒマン」も読んでいますし、ハンナ・アーレントについても、妻が大ファンだったこともあり、色々な解説本なども読んでいてい良く知っているので、非常に楽しめる作品であるし、思い入れの強い作品でもあります。
ただ、予備知識がない人には、何が何だかわからない話になってしまうなと思いました。
映画として、カタルシスもないし、アーレントが辿り着いた真実を口に出してくれたところで、彼女は友人が去るという仕打ちを受ける訳で、映画はそこのところでプツンと切れてしまうわけですからね。
でも、この映画はとても重要であり、作り手はそれがわかっているからこそ作ったんだなっていうのがわかります。
「イェルサレムのアイヒマン」でアーレントが論じたことは、もはや世界の常識となっています。
凡庸の悪は誰にでも生まれる可能性があり、だからこそ、人は考え続けなければならない。
ユダヤ人であったアーレントがあの時点で、凡庸な悪について論じなければ、思想史の発展は大いに遅れ、その後も世界の趨勢は、既成の因習や宗教、もっといえば、いわゆる会社の論理を盲目的に信じて行った可能性が高いのですからね。
意義があるからこそ、映画にした。
そうした姿勢が物語からヒシヒシと伝わってくる映画でした。
そして、こうした映画が作れる土壌は正直羨ましいなと思いました。
この映画はドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作ですけれども、こうした映画の意義を作り手も観る側もわかっているからこそ、生まれるんですね。
日本ではかなり難しい話です。
こと政治的な話が絡むとさらに難しいですし、そもそもエンターテイメント性がなければ、製作費が集められませんからね。
映画が持つ、本来の意義を噛み締めながら、見終わったあとに猛烈な羨ましさを感じた映画でした。

ちなみに最後にハンナ・アーレントから離れて行った友人、ハンス・ヨナスはアイヒマンの件に関しては分かり合うことはありませんでしたが、交友は数年後に回復して、親友同士に戻ります。
その後ヨナスは、アーレントの死後に「責任という原理」などを書いて、生命倫理学や環境倫理学の土台を築き、彼は彼で世界の思想史に大いに貢献することになるのですが、この映画は、ハンス・ヨナスにとっては、少しアンフェアな映画になっていますね。