「暗くなるまで待って」

暗くなるまで待って
1967年公開/アメリカ

元々が舞台の作品だけあって、いわゆる優れた密室劇の要素をふんだんに含んでいる作品です。しかもただの密室劇というだけじゃなく、これに主人公が盲目という条件が加わるので、観ている人間からしてみれば、二重の恐怖が伝わってきます。
普通密室劇の場合、襲ってくる敵は、物語の中盤や最後までわからないものです。密室という限られた空間の中で、何だかわからないものが襲ってくる恐怖。この何だかわからないところに、観客はみな恐怖するのです。しかしこの作品は違います。冒頭から、20分程度は、この襲う側の話であり、彼らがなぜここを襲うのか、つまりはネタバレが最初になされるのです。
正直に言えば、最初この冒頭を観たときに、あれれと思いました。どうして密室劇の最大の肝である部分を最初にネタバレするような構成にしてしまうのだろうって。でも観ていくうちに、これはもう一つの盲目という条件を最大限に使うための、巧みな準備であったことに気づかされました。
つまりは、観ている人間は基本的に盲目ではないので、盲目の視点に立って、密室の中で何かわからない敵が襲ってきたとしても、わからないことが二重になってしまい、観客としては、わけがわからなくなってしまう公算が高い。そこでどっぷりと主人公の主観で見せるというパニック映画的な見せ方をするのではなく、あえて手の内を明かすことで観客を俯瞰的な位置に立たせ、より第三者的な視点で映画を見せているのですね。
これにより、観客は襲ってくる敵に対して、盲目の主人公がどう立ち向かうのかという展開を、より鮮明に、しかも盲目であるという条件の下に恐怖心を持ったまま観客は見ることができます。盲目でなければわからない感覚で、襲う側の人間を驚かせたり、暗闇にすることで自分を有利な立場に持っていこうとする主人公の機転は、見ていて小気味いいです。
特に真っ暗闇でのシーンは圧巻だと思いました。普通、暗闇のシーンは不気味で恐ろしさを喚起するものなのですが、盲目であるという条件が、これを逆にしています。観客は暗闇の中で見えないながらも、主人公の安全を確信し、そして普段は安心感を与えてくれるはずの光が点くことにより、恐怖を感じるのです。この逆転の発想は、ありそうであまりない見せ方であり、ここにこの映画の醍醐味がすべて凝縮されているような気がしました。
状況設定を作るために、やや話を強引に作ってしまっているところも感じなくもありませんが、全体的にとても優れたサスペンスであると思います。しかも多大なお金などかけなくても、優れたアイデアと優れた演者さえいれば、十分に観客の心をひきつけてくれるようなものが作ることが出来るのだということを証明しているような作品でした。
それにしてもこの作品でのオードリー・ヘップバーンはすでにやや年をとっていますが、それでも美しく、また演技に円熟味があって、ただの奇麗な人で終わっていませんね。アカデミー賞では、ノミネート止まりでしたが、美しさだけでなく、彼女の迫真の演技を見るだけでも非常に観る価値のある映画であると思います。