松坂大輔引退! 球速118キロの意味

ついに平成の怪物のラスト登板の日がやってきてしまいましたね。
わたしなど、投げる姿を観る前から感極まっていましたよ。
そして投げた5球。
最速118キロ。ストライクは一つしか入らず、結果はファーボール。

今の自分を見てほしいと松坂投手は昨日言っていました。
全盛期の自分とは比べ物にならないボール。
150キロ超えをバンバン投げていたのに、120キロにも満たず、投げ方すらも変わってしまった自分。
本当なら、そんな無様な姿を見せたいわけじゃない。
これが松坂投手の本音でしょう。
でも、そういう苦しんだ結果の自分も自分なのだと、それを知ってほしい。
でも、それもまた松坂投手の本音であるのかもしれません。

試合前の会見で、松坂投手はわたしの知らないことを一つ語っていました。
自分の全盛期はレッドソックス2年目の2008年で、メジャーで18勝を挙げたその年のシーズン中に、ブルペンに向かおうとした時に足を滑らせて右肩をぶつけてしまったという事実。
結局、そのシーズンは問題なく過ごせたものの、オフにその怪我が悪化し、それから思うように投げられなくなったそうです。
それまでの松坂投手の選手人生はまるで漫画の主人公のように華やかでした。
甲子園の春夏連覇に始まり、高卒一年目で16勝を挙げて最多勝と新人王、西武で日本一になった後は、レッドソックスで世界一となり、WBCでも世界一。
これほどまでにスポットライトを浴びた野球人生も珍しいでしょう。
でも、松坂選手の言う故障から暗転します。
そこからは苦難の連続だった思います。
あれほど浴びていた賞賛の多くは、罵声に代わり、アンチも増えたと思います。
特にソフトバンクに高額な年俸で移籍したものの、ほとんど試合に出れなかったときのバッシングは相当ひどかったのではないでしょうか。

昨今、有名人への誹謗中傷が目立つようになっていますが、これだけ有名な人に対するそれは一般人には想像すら出来ないものだと思います。
全盛期に自分がどれだけやれていたのかを知っているだけに、もう終わった人としてみたれる辛さは半端じゃないでしょう。
松坂投手はそれでも何年も耐えていました。
思うように動かない体を必死にかばいながら投げ続けました。
そしてもうどうにもならないことを知るところまで来てしまいました。

多くの人は、松坂投手の名前を聞いて、多くの日は彼の良い時の記憶ばかりを思い出すでしょう。
でも松坂投手にとっては、もがき苦しんだ選手としての後半の時間の方の記憶の方が重く彼の人間性を築き上げたかもしれません。
苦しんだことも無駄じゃない。
そう思えるような、これからの人生を歩いてほしいです。

もちろん出来れば、西武球団に残って、コーチや監督になって後進の指導に当たってほしいですが、まずは家族との時間を取り、傷ついた体をリフレッシュしてほしいです。

最後にライオンズで引退してくれて、本当にうれしかったです。
大抵のスターはFAで出て行ったきり戻ってこないのですが、渡辺さんがライオンズに戻ってからは、工藤さんしかり、松井さんしかり、最後に戻って来てくれました。
たとえ、活躍できなくても、投げられなくても、でもいいんです。
ときにそういう移籍があったってね。